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どういう時に繋がりを感じる?

皆さんどういう時に繋がりを感じますか?

ぼくは「問いと対話で繋がるラジオ」という音声コンテンツを配信してる。

お互いのことを知り合うとこで、
相手に自分のことを知ってもらっている。
相手のことを昨日よりも分かる。

そのような感覚を積み上げて、自分と相手との「違い」と「同じ」を理解し受け入れていく過程。

ただ受け入れるだけじゃなくて、
「受け入れられない部分がある」ということも含めて相互理解を進めていくこと。

対話を続けることで、人と人は繋がることができるのではないか、という仮説を立てている。



先日ある友人と話していたら、こんなことを言っていた。

美味しいものを食べる時は、主人と行く。

僕は人とご飯食べる時、ご飯の味をほとんど覚えていない。話すのに集中しているため、食べるのが作業になってしまうためだ。


友人はこんなことを言っていた。

ご飯を楽しむ時は他のことを一緒にしない方がいい。だから、主人と黙って食べる。
食べ終わったあとで、帰りの車の中ででも食べたご飯の話をする。

とっても素敵だなって思った。

だって、ご飯を楽しむだけだったらひとりで行けばいい。でもそうせずに、主人と黙って食べるチョイスをしてる。

これって、美味しいものを食べてる時間を大切な人と共有したいからだよね。

僕はどうしてもやれ対話だ対話だと、
話の内容とかプロセスを重視してしまいがちだ。

でも、
その場が楽しかった。

という一緒に過ごした体験そのものが大事って気付かされた。

ぼくは「この瞬間を楽しむ」というのが苦手だ。
どうしても意味づけを考えてしまう。

沸き起こった感情に後から、意味づけをしてしまう。


衝動的に「したい」と思うことがある。

例えばぼくは誰かに「一緒にやろう」と誘われたら、ほぼ断らない。

誘ってくれて嬉しいから。

でも誘ってくれて嬉しい。を噛み締めるのを早々にやめて、これを一緒にやったらどんなことが起こるかな?みたいな仮説を立て始める。
意味づけをしたくなる。

誘ってくれた。
誘ってくれて嬉しい。

これこそが立派な繋がりなのだ。

沸き起こった気持ちをもっと大切にしないといけないな、って思った。


みなさんはどんな時に繋がりを感じますか?


おしゃべり版もります。
良かったら聴いてみてね。

これを読んでいるってことは、投稿を最後まで読んでくれたってことだね。嬉しい!大好き!