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昔のように淡白でいられたらいいのに。

若い頃は億劫だったり、飽き性だったりして、
モノコトヒトを継続するのが苦手だった。

ただ歳を経るごとに、やめるのが苦手になってきてる気がする。

もともと自分は淡白な人間だ。
人との別れもあっさりと受け入れられる。

なんで同窓会なんてやりたがるんだろう、過去の話じゃないか。昔話に花を咲かせる同級生を見て不思議に思った。地元トークは田舎者のすることだと、冷めた目で見ていた。

いつメンとかほんと気持ち悪い。
そんなものをなぜわざわざFacebookにあげて醜態を晒してるんだろう。暇なのか。

ところが最近、
続けたくもないことを、未練がましく続けてる自分がいる。

なんで動機もないのに続けるんだろう。
もっとやりたいことはいくらでもあるのに。

周りには見飽きた進歩のない連中がいる。
この進展のない議論はいつになったら終わるのだろう。

さっさと次の段階に進みたい。
ついていけない人は置いていけばいい。どうせすぐに視界から消えるだろう。

当たり前だけど、続けてきたことには過ごしてきた時間があり、育んできた人間関係がある。

いつの間にかそのようなものに、情や愛着を抱くようになったのかもしれない。

コトではなく、ヒトへの愛着。
我ながら気持ち悪い。

共感性はヒトを救いもするけれど、苦しめもする。そんなものはいらない。

昔のように淡白に生きられたら楽なのに。
でもだからと言って、昔に戻りたいと思えないから不思議だ。

友人に「お前はネクラすぎる」と言われた。

社交的な人間は本来ネクラなのかもしれない。
1人でいると考え過ぎてしまうので、できるだけ人といようとするのだ。

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