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フィンランド人との文通

外国人との文通が大学生の流行りだった

ずっと昔の話だが、「文通」が学生の社会的義務みたいに流行ったことがある。戦後日本が、国際社会との交流に乗り出した時代に重なる。もちろん、インターネットもない時代で、当然自動翻訳器などというのは、遠い未来の発明品としてSF小説の中に登場していた頃のことだ。一回り以上歳の離れた私の兄は、フィンランドの自分と同くらいの年齢の女性と文通していたらしい。らしいというのは、私はその兄から海外の人と文通をしているということを直接聞いたわけではないし、ましてやその文通相手の女性とどんな話題をやり取りをしたかということについて、何も聞かされたことがなかったからだ。しかし兄は、姉に英語への翻訳を手伝ってもらったり、外国郵便のことについて必要な情報を聞いたりしていた。そんな経緯があったので、結果的に兄の文通の内容については、その姉からほとんどだだ洩れといった感じで私たち兄弟や家族にも伝わっていたと思う。

兄の文通相手は大音楽家シベリウスの近所に住む女学生

兄が文通をしていたのは、フィンランドの首都ヘルシンキに住む女性だった。姉を通して入ってくる兄の文通の様子は、私が幼かったということもあって、私にとって興味のある内容ではなかった。しかし私の母は、たまたまクラシック音楽の熱狂的なファンで、しかもフィンランドの大音楽家、シベリウスのファンでもあった。母は兄が文通している相手の女性が、ヘルシンキのシベリウスの近所に住んでいることにまず驚いて、そしてヘルシンキの兄の文通相手から送られてくる手紙の中に、シベリウスに関連するニュースがあるかどうかについて大きな関心を持っていた。実際のところは、彼女の手紙にシベリウスの話題が出ることは稀だったが、母は兄の文通に誇らしいものを感じていたようだった。

ただ、兄の文通相手の女性は、文通を始めた頃に、近所に住む国民的音楽家であるシベリウスのことを紹介し、彼が自分にとっていか大きな誇りであるかを語っていたという。フィンランドのシベリウスは、「フィンランディア」というフィンランドを代表する名曲を作曲した作家だが、彼の生涯の多くの時間、フィンランドは帝政ロシアの半支配下にあった。帝政ロシアからの独立を願うシベリウスは、この曲にその思いを託したので、「フィンランディア」には、祖国フィンランドへの愛国心と、帝政ロシアに対する抵抗の意思が込められていた。

「フィンランディア」はシベリウスのロシアへの抵抗の曲

シベリウスは、1957年に亡くなった。その時はすでにフィンラドは独立を達成していたが、ソビエト・ロシアとの関係は微妙で、国際的に中立の立場を取ろうとしていた。シベリウスが亡くなった時、フィンランド国民は国家的な英雄の死を悼み、ヘルシンキでは国を挙げての厳かな葬儀が営まれたということだった。それを私たちに伝えてきたのは、兄が文通していたヘルシンキの若い女性で、兄への手紙には、単なるニュースを越えて、シベリウスへの深い哀悼の気持ちと、祖国の英雄を失ったという彼女の悲しみがあふれていたという。

私の中にも微かに残るフィンランドの名残り

私は意図せずに、成人になって偶然にもクラシック音楽のマネージャーという仕事に就いた。日本のクラシック音楽界はフィンランドと縁が深く、日本人がシベリウスを好んでいることもそうだが、音楽的感性にも通じるところがある。さらに、日本人としてフィンランドに縁があるアーティストとしては、名指揮者だった渡邊暁雄さんがいる。彼のお母さんは声楽家でフィンランド人だ。また左手だけのピアニストとして活躍する館野泉さんは、今もフィンランドに在住している。そして私はフィンランドにつながる幾人かのアーティストとの仕事上のかかわりがあった。少なくとも私の中には、兄の文通に始まるフィンランドとの微かな名残が今も残っているように感じる。

そのフィンランドが2023年4月4日に、NATOへの正式加盟を果たした。長い間、中立、軍事的非同盟を貫いていていたが、この決定はロシアのウクライナ侵攻がきっかけだと思われる。欧州安全保障の構造変化につながる出来事だけに、NATOへの加盟は世界を驚かせた。私の兄が昔フィンランドの女性と文通していたこととは何の関係もないが、それでも長い時間フィンランドの歴史が何らかの意味でわが家と微かにつながっていたことが無性に嬉しかった。国際化というのは大仰なことではなく、こうした無数のつながりの歓びの連鎖ではないかと、ふと思うのだ。



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