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コトコトコットンの「森の水車」

水車って重そうなのに、それほど速く回転するの?

「コトコトコットン コトコトコットン ファミレドシドレミファ」と続くのだが、いわゆる「森の水車」の歌だ。「コトコトコットン」というのはおそらく水車のまわる音の擬音だが、いかにも軽妙で、子供が喜びそうな楽し気な歌だ。誰が作った歌かは私は知らなかったが、この種の歌には疎(うと)い私もこの曲のことは記憶にあった。また、この歌が、「森の水車」という題名だったことも、水車のことを歌っていることも知っていた。そう考えてみると、きっと私も学校の音楽の時間に歌わされていたに違いない。ただ私はきっとその頃から、この「コトコトコットン」は水車が回っている音を表現したものだということについては、ほとんど納得したことはなかった。

「コトコトコットン」という軽妙さの謎

つまり、日本の水車で言うと、この装置の構成要素は、流れる「水」と、水車の車輪の周りについている水をためる「桝」と、実際は「桝」と呼ぶのが正しいのかどうかさえ知らないので「桝」と呼んでおくが、それに水車の回転を水車小屋に伝える太い「木の軸」から構成されている。それに水車の最終目的である水車小屋の内部にある麦などを挽いたりする装置とつながっている。私はあの水車が、軽妙な「コトコトコットン」という音を発するものとはとても思えなかったのだった。日本の水車はもっと重々しくゆっくりと回るような気がする。
私は「コトコトコットン」という音が本当に正しいのか、子供のころから気になっていたが、残念ながらその音を聞く機会があまりなかったのだ。水車がどのような音を出すかということについては、幸いにもユーチューブなどで水車の音を聞かせてくれる番組がいくつかある。基本的には、癒しの音というカテゴリーで紹介していることが多いのだが、その音を聞いてみると、水車が出す音の大半は水が流れる音で、それに回る水車部分の木材が軋(きし)んでいる音が聴こえる。さらには水車小屋内部の粉などを挽く音が間欠的に聞こえている。しかしどう聴いても、「コトコトコットン コトコトコットン」という軽やかなアップテンポの音は聞こえてこない。

戦中に創られた「森の水車」は軽快すぎて敵性音楽に

私は、寺の鐘と言っても、日本のかねつき堂(鐘楼)のようなところにぶら下げられた大きな鐘もあれば、いわゆるラ・カンパネラ(パガニーニ=リスト編より)の曲のテーマとなっているような、いくつかの鐘がセットになったキリスト教の教会の「小鐘」のようなタイプの水車でもあるのかと勝手に想像していたぐらいだった。
この曲は、作詞が清水みのる、作曲が米山正夫の手になるものだが、この作品のことを述べた資料を見てみると、この曲は戦中に創られたようだった。ところが「コトコトコットン コトコトコットン」という軽快なテンポが、あまりにも陽気なので、欧米の曲を思わせる敵性音楽であるとする軍部の難癖以外の何事でもない理由によって、発売禁止になってしまったという。もちろんそうなるとラジオでも放送禁止ということだ。しかし曲を作った側とすればたまったものではないので、いろいろ人を通じて立派な曲だと軍部を粘り強く説得して、ようやく発売禁止が解かれたということだった。この「森の水車」を歌ったのは、戦後一番の大ヒットを記録した「リンゴの唄」を世に送り出した並木路子という有名な歌手だった。そういう意味では「森の水車」も大ヒットを狙った重要な曲だった可能性もある。

「リアリティ」より「新規さ」を狙った作曲家の作風

私はさらに「コトコトコットン」の擬音の謎に挑戦すべく、周辺の資料を再度見てみると、この歌は作曲家の米山正夫のアイデアで、ドイツの作曲家アイレンベルグの「Die Mühle im Schwarzwald」(森の水車の意味)という曲の前奏、間奏の旋律が使われている。つまり、ドイツの作曲家の旋律を使っている。ドイツは三国同盟の盟友なので軍部はOKを出してくれると計算したのかどうかは今となっては判断のしようがないが、その可能性もある。米山正夫の作風としては、世界各国の音楽や日本の民謡、あるいは多様なジャンルや新しいリズムの要素を取り込んで、より新鮮でポピュラーな流行歌をつくる傾向があった。ある意味ではこの「森の水車」も、水車のリアリズムを追求するというより、新しい音楽の創出に重点があったということかも知れない。それを知って私は、「森の水車」の「コトコトコットン」の謎について、ようやく半分くらいの回答を得たような気がして、半分くらい納得できたような気がするのだった。



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