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騙す、騙されるということ

1970年の大阪万博は千里丘陵の竹林を拓いて造られた

1970年に大阪万国博覧会(大阪万博)が開催された会場は、千里丘陵の広大な竹林を拓いて造られた。大阪万博の会場になる前の千里丘陵は、大阪梅田から直線距離としてはさほど遠くはないが、実際は大阪近郊にこんな静かな地域があるのかと思えるくらい、のどかな里だった。大阪万博の開催で、千里丘陵のあった元の地域が大きく変容するので、元あったこの地域の文化や習俗を後の世に残しておこうという趣旨から、地域文化の発掘、記録、資料の収集などが行われた。私は偶然、この地域の郷土文化、産業遺産、習俗などの取材、整理する仕事を担当していた人と知り合い、この里の人々の往時の営みを知る機会があった。

千里丘陵の狸は人を騙(だま)すという

その中で印象的だったのが狸の話だった。狸の話が多いうえバラエティに富んでいた。この地域の人々もずっと昔は狸を日常的に獲って食用にしていたようだが、狸の肉を鍋で煮ると泡だらけになって、不味いと書いている。また、この地域の言い伝えの中には、狸に騙(だま)されたという話が多く残っていて、日本では地域を問わず狸が人を騙すという話が残っていることが興味深い。私の私見だが、おそらく狸は知能が高いので、人が仕掛けた罠などは難なく避けるという。それが人を負かすほどに賢くて、やがて人を騙すという話につながったのではないかと思う。

ところで、狸ではなく誰かに騙されたという経験を持っている人ははかなりいると思う。ということは、騙したことのある人もそれくらいいることになる。つまり騙し、騙されるという人間の行動は、それほどに普遍的な人間の行動の一つだということになる。よくテレビや映画の中で、人を騙した男が、騙した相手に向かって「騙されたお前も悪い!」と、うそぶくシーンがあるが、子供のころからこんなシーンがあると、なぜ騙された方も悪いのかと思ったものだ。少し大きくなってから考えたことだが、騙されるのは被害者の側の不注意や思慮のなさが原因なのだから、それはお前にも責任があると言いたかったのだろう。そんな屁理屈があるものかと言いたいが、結構そんな屁理屈が世の中の常識なのかも知れないような気もする。

「騙される方が悪い」というのが世の中の常識か?

選挙の公約だって、まじめに公約を実現しようとする議員など、どれほどいるのだろうか。よく選挙に関連するテレビの街頭インタビューなどで、「公約をよく読ませてもらって、誰に投票したらいいか決めたい」と、答えている人がいる。しかし人々は「公約」のことをどう考えているのだろうか、本当に「公的に表明した、あるいは表明された約束」だと信じているのだろうか。私の常識がいびつなのかも知れないが、そうした公約のほとんどが、「景気を良くしたい」とか、「子供が安心して遊べる街を作りたい」とか、「世界を平和にしたい」といったような空疎で聞きなれた言葉ばかりで、人間的なリアリティの欠片もない。それでいて選挙の結果が出て、世の中が少しもよくならず、場合によってはどんどん悪くなっていくと、有権者は突如「騙された!」と言ったりするのだ。しかし、選挙で選ばれた人としては、分かり切った嘘に騙されたあんたが悪いんだと思っているのかも知れない。
例えば男と女のトラブルだってつまるところ、「騙したあんたが悪い!」と女の人が言い、「騙されたお前が悪い!」と男の人が言う。これが世の中の常識だとすると、やはり世の中は「騙されたあんたが悪い」ということが、基本になっていると思った方がいいのだろうか!


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