(扉)ご先祖は、2万年前の港川人? DNA解析、日本人につながる可能性


 沖縄県で約2万年前の全身骨格が見つかった港川(みなとがわ)人=キーワード=は、現代の日本人につながる祖先だったかも知れない。そんな可能性がDNA解析からわかった。日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸からの渡来人による「混血説」が定説だが、さらに古くまでさかのぼる可能性が出てきた。

 日本人の起源は、約1万5千年前から約3千年前にかけて北海道から沖縄まで広く分布していた縄文人と、その後に大陸からやってきた渡来人が混血した弥生人にさかのぼることが、DNA解析などから裏付けられてきた。

 一方、縄文人より古くからいた港川人との関係ははっきりしていなかった。というのも、出土した人骨や遺跡だけでは、港川人が別の土地へ移ったり、途絶えたりした可能性もあり、直接の祖先とは限らないからだ。港川人の顔の骨格が縄文人とあまり似ていないこともあり、論争になってきた。

 総合研究大学院大や東邦大などの研究チームは、解析が比較的やりやすい細胞の小器官ミトコンドリアのDNAを用いる手法を採用。保存状態がよく全身骨格が残る港川人1号の右大腿(だいたい)骨からDNAを抽出し、初めて分析に成功した。

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 ミトコンドリアDNAは母から子に受け継がれる特徴があり、その際に起きる突然変異によって親子でもわずかな違いがまれに生じる。DNAに残るこの痕跡を比較すれば、その個体や集団の系統をさかのぼれる。

 分析の結果、港川人1号は、現代の日本人や縄文人、弥生人に共通して多く見られるタイプの遺伝子の祖先型の特徴を持つことがわかった。港川人の子孫の系統が途切れることなく、現代に続いている可能性を示唆するものだ。

 一方、分析した現代の日本人約2千人の中に、港川人1号と同じ遺伝子の特徴を受け継ぐ直系の子孫はいなかった。

 チームの五條堀淳・総研大講師(自然人類学)は「日本列島のヒトの集団は、旧石器時代から現代に至るまで、遺伝的につながっていそうだ」と話す。研究が進めば、現代日本人の中から港川人の直系の子孫が見つかる可能性もあるという。

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 港川人1号は身長153センチで、成人男性としては小柄だった。頭骨の分析から、こめかみの筋肉が発達し、下あごの骨も頑丈だったことがわかっている。歯も丈夫で、特に奥歯を支える歯根が太くて長かった。近くの別の洞窟からは、2万3千年前の巻き貝で作った世界最古の釣り針や、カニの爪、ウナギの骨などが見つかっている。

 国立科学博物館の馬場悠男・名誉研究員(人類形態学)は「ネズミや魚は骨がついたまま、木の根などの硬いものもバリバリとそのまま食べた。料理は火であぶる程度だっただろう」とみる。

 頭骨からわかるのは、ごつい頭の形やみけんの出っ張りなど深い彫りを持つ特徴が、約20万年前にアフリカで生まれたホモ・サピエンス(新人)の古い姿を残している点だ。豪州の先住民や、インドネシアで発見され、頭骨に原始的な特徴を持つワジャク人ともよく似ているという。

 馬場さんは「約4万年前にアフリカから東アジアに来た新人が沖縄に渡って孤立し、古い特徴を残しながら環境に適応して港川人になったのでは」と推測する。

 五條堀さんらの研究チームは、ミトコンドリアより情報量が多い細胞の核DNAの解析を港川人1号で始める計画だ。うまくいけば、日本人のルーツと港川人の関係をより明確に知ることができるという。(石倉徹也)

 ◆キーワード

 <港川人> 1970年、沖縄県八重瀬町のフィッシャーと呼ばれる岩の割れ目から、約2万年前の旧石器時代の男女4人の全身骨格が見つかった。発掘場所の地名から港川人と呼ばれる。小柄で華奢な上半身に対し、頑丈な骨格の足腰やあごを持っていた。平地が少なく起伏の激しい島内を集団で放浪しながら、採集狩猟生活をしていたとみられる。旧石器時代の全身骨格が日本で見つかるのは極めて珍しい。

 発見者の那覇市の実業家、故・大山盛保さんは、人骨発見の3年前に現地でイノシシの骨を見つけた。それ以来、「追ってきた人間の骨もあるはず」と発掘を続けていたという。

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