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ボート依存症

「新居に遊びに来て」と女子校時代からの憧れの友達に言われたものだから快諾し、到着してみたら彼女の生活はほとんどボートの上で行われていた。正確には、湖の近くに小さな平家を借りていて、それでもほとんどの時間をボートの上で過ごしている、そして「私はボート依存症という病気に罹った」などと告げてきた。しんとした湖の上でゆらゆらとボートに揺られる彼女は昔からそうだったように今でもとても透明で美しく、不可解なことばかりだったがとにかくその景色は私を魅了した。

 彼女は数ヶ月、または数年ごとに、しっくり来る湖を求め、引っ越しをしまくった。私はその度に彼女を訪れ、時間の許す限り彼女と一緒にボートの上で過ごした。彼女のボートの上での時間はどんどん増えているらしいし、不思議なことに一般人がボートで乗り入れてはいけないエリアに浮かび続けても、なぜか見つからない、捕まらないのだそうだ。
 高校時代の彼女は、こんな危険な…極端なことをする女の子ではなかったように思っていたが、随分とイメージと違った生活をしている。だがこれも全て、ボート依存症の症状があまりにも強いからなのだ、と彼女は言った。
 そしてとうとう日本のボート生活に限界を感じた彼女は、単身ヨーロッパに乗り込んでしまった。もう一年と数ヶ月、色々な国を渡って様々な水面に浮かんでいるらしい。

 彼女と会わない間、私の生活もどんどん変化していった。彼女のことを、水面のことを、そしてボートのことを考え続け、焦がれ続け、私はすっかりボート依存症に罹ってしまった。ベッドの上では眠りづらく、休日には一人で洗足池の手漕ぎボートに通った。水の音を聞いていないと精神が不安定になったし、ボートで迎えた朝にしか見られない朝靄のことを思い出すと、脳がしびれた。地に足をつけていることがどうしても耐え難いのだ。地上は地獄だ。

 私の渇望感も限界を迎えようとしていた。仕事を辞め、一緒にヨーロッパに定住しよう、と来月帰国予定の彼女を誘うつもりだった。

18ヶ月ぶりの彼女との再会の時、彼女はその腕に赤ちゃんを抱いて現れた。
スイスの湖で、同じ病気の男と出会ったらしい。この子は、その男との子供だと言う。
 男との結婚はしないが、彼女はスイスの湖をいたく気に入り、移住予定なのだと微笑んで言った。同時に、
「ごめんね」と透明な声で呟いた。彼女は私の顔を見た瞬間、ボート依存症に罹患していることを察していたようだ。

 それから、国内のとっておきの湖と、彼女の所有するボートの置き場を教えてくれた。一度だけ、着いてくるか?と聞いてくれたが、丁重に断った。

「治すには、ひたすら乗るか、二度と乗らないかだよ」と彼女は最後に教えてくれた。

(了)

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