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わが子たち、ノーリターンでお願いします

いつものようにTwitter(現X)を眺めていたら、子どもを持つことは3000万のサブスク、だとしたらリターンはなにか、みたいな話が流れてきた。

子をなすこと、子を持つことをサブスクと表現することがいいかどうかは置いといて。
わたしは子を持つことを選択した身として、じゃあリターンってなんなんだろって考えた。

考えたけど、わたしはリターンなんか求めてないんだなって結論に達した。


5年前に上の子と、つい先月下の子と出会ってから。
わたしの人生には確かに彩りが増した。
世界が広がったって言ってもいい。
わたしひとりでは見られない世の中を、5歳が、0歳が見せてくれてる。

今まで興味がないどころか、わたしが目の端にも入れなかったものを、5歳は気付いたら食い入るようにじっと見つめている。夢中になって手を動かして、やわらかな頭に知識を吸収していく。

わたしが見つめる子が見つめる先に、わたしの知らない世界がある。


わたしが子を産んだのは、正直言うと興味本位。好奇心とも言うかも。
ただなんとなく、きみたちに出会いたかったから産んだ。
産まれてきて、しばらく生活を共にして、きみたちのことがもっともっと好きになった。

だから、好きな人の好きなものに興味がわいた。
わたしの知らない「なんだそれ、おもしろーい!」って思うものを、5歳が持ってきてくれて。
多分これから、0歳も持ってきてくれる。


でもそれ、夫も同じだし。

うちの夫婦は、当たり前だけど似てるところも似てないところもある。似てないのほうがやや多めかな。
感性はわりと似てる。でも発想は全然違う。

そして当たり前だけど、育ってきた環境が違うから、好き嫌いは否めないし、頭の中にある知識とか、蓄積してきたものも全然違う。

だから楽しいのよ。
「なんだそれ、おもしろーい!」を、夫もたくさん見せてくれるから。


わが子たちと出会って、わたしの世界は広がった。
でも、わが子だから、ってのとはちょっと違う感じ。

人と人との出会いのカタチの、ひとつ。


だからね。
わたしが勝手に、子どもたちからいろんなものを受け取ってはいるけれども。
それは子どもたちから差し出されたものではなくて。

子どもたちから返してほしいものなんて何にもない。なんにも。

わたしに何か返さなくていい。
きみたちが大きくなったとき、次の世代に何かを継いでくれたらいい。

何かってなんだろ。
きみたちにかけた愛情かな。

それだけで、わたしの育児人生けっこう満足だよ。


おしまいっ

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