言葉じゃなく呪いをかけてしまっていた話
夕方はいつだって慌ただしい。
帰宅してから手を洗って、お風呂に入って、ごはんを作って食べて、歯を磨いてトイレに行って、なんとか寝かしつける。
そしてそれは、文字にすると簡単だけど、相手だって気持ちのある人間。
違うことがしたかったり、乗り気じゃなかったりして、とんでもない勢いで時間を消費していく。
わたしは子どもに対して、できるだけ怒ることをしたくなくて、日々を回すために声かけの仕方を考えていたりする。
それが一番効率がいいからでもある。機嫌を損ねた方が、結局時間かかるし。
子どものことも尊重できないし、いいことない。
(とはいえやっぱりどうしても、自分の体調だとか時間の制限だとかで声を荒げちゃうことも日々あるよ。子育てってむずかしいね)
最近ずっと、自分のものを洗濯機に入れてくれない4歳。
お風呂に入る前、じゃんけんして順番にトイレに行ったあと。
今日はわたしがあとでトイレに行ったので、ドアを閉める前に「あー、きっと○○なら、おかーさんが出てくるときには脱いだものぜーんぶ洗濯機に入れるくれてるんだろうなー」と言い残した。
「そうだよ!できるよ!すごいでしょ!」
を、期待しちゃったのだ。
トイレを済ませてドアを開けると、泣きそうな4歳がそこにいた。
どーした!?と驚いてよくよく聞いてみると、
「おかーさんがそうやっていうのは、すっごくかなしいきもちになるよ」
とのことだった。
そうしてわたしは気が付いたのだ。
わたしがかけていたのは言葉じゃなくて、呪いだ。
できるはずのことでも、やらずに甘えてくる4歳。
できるんだからって、なんとかどうにかやらせようとしていた。
でも多分違うんだ。やれるけどやってほしいんだ。
それが、他者への信頼とか、親との愛着とか、そういうのに結びつくんだろうけど。
わたしは4歳に、甘えない人間になってほしいんじゃない。
自分が何らかの理由でできないときに、ちゃんと助けを求められる人になってほしいんだ。
そのためには、周りの大人がやることは「それはもう自分で出来るでしょ、やりなさい」じゃないのだ。
「てつだって」と言われたら、「うん、いいよ」って返すこと。
甘やかしてナンボだ。どれだけ甘やかしたって、そのまま何にもやらない人間には、この子は多分ならない。
それは4年間、この子と過ごしてきてわかる。
ごめんねって、誠心誠意謝った。
そして「今みたいに、嫌なことがあったら言葉で教えてね、ごめんなさい」とも添えた。
4歳は涙を拭きながら、頷いてくれた。
子育ては、子どもへの信頼が第一で。
こっちの言いたいことを飲み込むことだって、結構大いに必要で。
つくづく子育ては、親の修行だ。
今日も読んでくれて、ありがとうございま。
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