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手を離すその日までにわたしにできること

懺悔します。

今朝。
4歳がパジャマのままで、最近お気に入りの納豆ご飯を食べようとしてました。

スプーンいっぱい、なんだったらはみ出すくらいごはんをのせて。
口拭きたいときは、なんでか知らんけど利き手じゃない方にわざわざスプーン置いて。

納豆が、口から落ち、お皿からはみ出し、腕にくっつき。

背中丸めて、おくち前にして食べな。
スプーンはこっち側に置いときなよ。
ああ、こぼれてるからそこ拭いて。その納豆は取って。
おっと、そのやり方だとまた汚れるよ。


と、一挙手一投足にいろいろ言った結果。
4歳から返ってきた言葉。

「そんなにいうんだったら、もうたべるのやめる!」


その場では、売り言葉に買い言葉で「いいよ、じゃあ止めときなよ」と言ったんですが。
園に送っていって、離れて、すごく後悔しました。


これはもう、口うるさいおかーさんや。

はああ。いつもやってしまう。
子どもの失敗が見えるからこそ、先回りして言ってしまう
手を出さないようにはできるようになってきたけど、その代わりすごく言葉が出るようになった。

これって結局、どういうメッセージで伝わるかというと。

あなたのことを監視しています。
もっと言うと、
あなたのことを信用していません。
ということ。


親としての修行が足りないとしかいいようがありません。
だってこれ、子どもの失敗する権利を奪ってる

子どもは誰だって、失敗する権利があります。
失敗から見えるもの。失敗して味わう気持ち。失敗のあとどうするか考えること。
失敗からだって、いろんなことが起こります。

それを、まるっと奪ってしまってる。
これはよくないぞ。


アメリカ先住民に伝わる「子育て四訓」という言葉があります。

乳児はしっかり肌を離すな。
幼児は肌を離せ、手を離すな。
少年は手を離せ、目を離すな。
生年は目を離せ、心を離すな。

うちは今ちょうど幼児期なので、肌を離す段階にあります。

だっこしてつれてって、全部やってあげる時期はもう終わってる
4歳には自分の意思があって、それをつたないながらも言葉や行動で表現できる。
そのつたなさを大人はわかってあげて「手を離す」時期へと少しずつ移行していく。

逆に言うと今は、手を離す準備をしている時期でもある。

「手を離すな」は「手を出せ」とは違います。近いのは「手を貸せ」かな。
貸すことはできる。でも、代わりにすべてやることは、今のうちはできるけど、もっと大きくなったらできなくなっていく。


いつか来るその日のために、手を離す練習を今から少しずつ。

それが、幼児期子育ての本質なのかも。


言いたい言葉をぐっと飲み込んで、いっぱい失敗しておいでって送り出す。
命に関わることじゃなければ、いっぱいやってみなって笑っている。

そんな風に、どっしり構えるおかーさんでいたい。


今日も読んでくれて、ありがとうございます。

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