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【週刊メンバー日記 6】 ”世代“を恣意的に結びつけるのはいかがなものか。/中山田 倖一

こんにちは!任意団体X-gene代表の中山田 倖一です。
最近、団体代表奮闘記の更新が途絶えているがメンバー日記の順番が回ってきました笑 すでに3本ほど書いておりますのでよかったらこちらもご覧ください。

さて、今日は「『世代』を恣意的に結びつけるのはいかがなものか」というテーマで書いていきます。私たちX-geneは、世代が交わることで生まれる新たな社会的アイデアや、相互理解の創出を目指していますが、わざわざ違う世代で討論番組を組んだりするのは「世代にとらわれない」というテーマからしていかがなものかと思うときが多々あります。つまり、世代にとらわれないといいつつ、世代を意識して構成することで世代にとらわれてるんじゃないのかというジレンマですね。

先日、メンバーと別のことで会議をしていてこのことを質問されました。やっぱりその考えに至るよな、そして難しい問いだよなと思いつつ、その時点での僕の考えを話しました。

結論 「中和が必要」

酸性のものを中性にするにはアルカリ性が必要です。政治的な中道とは右派と左派のバランスで成り立つものです。世代の概念にとらわれない世界のためにもこの中和が必要です。

世代の概念に縛られて、意見の交流がない、交流するという概念すら薄いというのがX-geneからみた世界の捉え方でしょう。そして世代を気にせずに積極的な議論ができる私たちの理想郷に近づけるには、世代の交流を生み出すというエレメントが必要です。

現状が酸性なら、アルカリ性である「世代の交流を生み出すために恣意的に結びつける」という要素が必要だろうというのが現在の考えです。

ジレンマの原因は先の見過ぎ

このジレンマは先の見過ぎが原因です。理想を求めすぎたが故に、現状を置き去りにしているのです。日常生活でもこれはよくあることかもしれません。理想を掲げることが大事ですが、現実と離れすぎていると実現しませんし、ギャップに苦しみます。これは自戒の念も込めていますが、マイルストーンを設定して、理想に向けて進むのが大切ですね。

850文字を超える冗長な乱文にお付き合いいただきありがとうございました。他にもこのnoteでは団体の裏側を書いていますのでフォローしてもらえると嬉しいです。それではまた!

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