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内定式の代表挨拶を蹴ってまで、ドベンチャーに入ったってよ

はじめまして。株式会社Stella Pointの丸尾 皇我(まるお おうが)と申します!
今回は2024年卒の新卒として入社した僕の紹介を記事を書かせていただきました。

2001年 群馬県生まれ
幼少期から空手に打ち込む毎日を送る。
大学進学と同時に上京。大学では体育会ラクロス部に入部して、フェイスオファーとして活動。
大学時代には創部初の関東リーグトップ4入りを果たす。
その傍ら、大学2年生からStella Pointの長期インターンに参画。
現在はキャリアデザイナーとして日々、学生の就活サポートに取り組む。

道場にぶち込まれる

幼少期はとにかく元気があり、毎日家中を駆けまくる悪ガキでした。
あまりにも元気すぎる、ということで幼稚園の年中から空手道場に
通うことに。通うと言っても、元気すぎる僕に対して
お手上げとなった親が無理やり連れて行った、という表現が近いかもしれません。笑

そんな動機で始めた空手でしたが、気がついたら高校卒業時まで続けていました。というのも、この空手人生が割と上手くいきまして

・小学校では全国入賞
・高校は空手の推薦が5校も貰えた
・高校時代は関東2位
もちろんそれに見合った努力をしてきたのですが、この空手の成功体験が
後に僕を苦しめることになります。

心機一転

幼少〜思春期の成功体験を創り上げてくれた
空手とは高校卒業と同時に引退と決めていました。

大学から地元群馬を離れ、上京(さいたまw)したことをきっかけに
心機一転あたらしい事に挑戦したいと思っていました。
色んなサークル、部活の話を聞く中で履修相談に乗ってくれていた
先輩からとある部活に誘われました。

「ラクロス部なら就活強いよ」

当時はまだ18、19歳(大学1年)だったこともあり、就活までは強く意識してなかったものの、ラクロスという大学スポーツに興味を惹かれました。
ラクロスを知らない方も多いかと思いますので簡単に説明すると・・

クロスと呼ばれる先に網の付いたスティックを用いて直径6cm・重さ150gの硬質ゴム製のボールを奪い合い、相手陣のゴールに入れることで得点を競う球技の一種。

thank youウィキ

あまり知られていませんが、2028年のロサンゼルス五輪に追加競技として追加されました・・!!
また、日本では高校におけるラクロス部が少ない為、大学から始めるというスタートラインがほぼ一緒という点も選んだ一つになります。
これまで空手をやっていたことで、目標に向けた努力の仕方や自分の勝負強さをラクロスで試してみようと思いました。
こうして、体育会学生としてキャンパスライフを歩むことに。

没頭と折られた心

見出しにあるように、ガッツリ折られました笑
僕自身、空手に限らず、運動神経能力が高いと思っていたので
それなりにやれると思っていました。
ましてや空手ではずっとトップ層でいたことから、自信を持っていたのですが・・・さすがは大学の体育会。
全員、運動神経能力が高かったです。笑
よく考えたらそりゃそうで、わざわざ大学に入ってまで
体育会部活を選択してる人たちです。
みんな何かしらのスポーツエリートでした。
味わったことのない競争をする中で、必死に取り組み
2年生頃からは試合に絡ませてもらったり、空手の時とは
違う刺激ある日々を送っていました。

簡単に大学ラクロスについて、説明させていただくと
大学ラクロスのレギュレーションは3部制のリーグ戦となっており
リーグの下位チームは残留を争う入れ替え戦をおこなうといった仕組みになっています。
僕の大学は当時1部に昇格したばかりで、目標は残留争い。
そんな僕のラクロスにおけるポジションは「フェイスオファー」でした。

フェイスオファーはバスケでいうジャンプボールみたいなやつです。
得点後に片方のチームのボールで始まるのではなく、フィールドの真ん中で両チームのフェイスオファーが審判の笛の音と同時にボールを激しく取り合うのです。

自分の技を生かし、奪い取り、自チームのボールで試合を再開させ、チームに流れを持ってくることがフェイスオファーの仕事です。
そのため、フェイスオファーが強いチームは得点が入ったあとも再びオフェンスをすることができ、失点後もオフェンスに持っていくことができるのです!(割と重要なポジションやってました!!)

と最初の1〜2年は頑張っていたのですが、3年生頃から折れていきます。笑
何か明確にあった訳ではないのですが、腐っていきます。
今思えば、自分の理想が高かったことで腐っていったのだと思います。
空手の時は常に自分が中心人物であり、周りに目標とされる特別な選手だったのが、ラクロスではそうはなれませんでした…

練習が手抜きになったり、寝坊したり・・・
しかし怖いことに3年では副主将でした。
しっかりとしなきゃダメなのに、ダメなのに手を抜いてしまう
そんな悶々とした日々を過ごす中で大きな出会いが訪れます。

「インターンしない?」
Stella Pointの代表である米川から誘われたことで
ラクロス漬けの体育会学生だった僕の生活が変わります。

インターンでは法人向けのインサイドセールスから商談まで
幅広くやらせていただきました。

インターン終わりのダーツやるのがブームでした

実はこのインターンでもラクロス同様に
圧倒的な成績を残せた訳ではありませんでした・・・がここではラクロスほどのショックは不思議とありませんでした。
スポーツと違い、ビジネスに触れるのが本当に初めてだったことから
無駄なプライドも無く、真っ直ぐに取り組めました。
あまりの楽しさに気がついたら友達も呼んだりと、何となく部活のことを
忘れることができる体験だったのかもしれません。

内定者の代表者挨拶を蹴って

インターン活動を通して、改めて努力の仕方や目標に向かって走る
大切を実感し、気が付いたらラクロスも最初の頃のように
必死になって取り組めるようになっていました。
これまで1部残留が目標であるチームが何とFINAL4(すごくわかりやすく言うと関東リーグベスト4)という結果を残せました。

そして、忘れてはいけないのが就活です。
最終学年になったことでおのずと就活生になります。
最初はインターン先のメンターに相談して、メガベンチャー受けてみたり
稼げる、を軸に就活を展開していました。

この軸にした理由としては
実家が事業やってることもあり、素直に親を超えたい!と思っていました。
思えば、僕は何不自由なく生活していました。

大学までスポーツを好きにやらせてもらい、大学も奨学金など使わずに
全部出してくれました。
そんなことから自分も稼いで、将来子供に同じことをしてあげたいと思っていました。

結果として100名超の気鋭ベンチャーに内定をもらい
内定者の代表挨拶にも任命された!!(おそらくトップ内定者でしたw)

インターン先の人たちと喜んでいた一方、ふとある考えがよぎりました。
「自分は何者になりたのか」
「今何者かになれているのか」

インターン時代にオフィス移転も経験

そんな時に、Stella Pointの社員総会に参加させてもらい
米川が掲げる「Stella Point経済圏」の話を聞いたことで
惹かれていきました。

Stella Pointはインターン先ではあるものの、1年半以上も続けていたことで
あまりにも当たり前になっていた存在でしたが、次第に入社したいと思うようになっていきます。

そのことを代表の米川に伝え、内定先にも自分の口で正直に
話しました。
結果的に内定先の企業が快く背中を押してくれたおかげで、僕はStella Pointに入社することなりました。

そして今。
まさに仕事の壁にぶつかっています!笑

ビジネスマンとして何者かになれるまで、とにかく頑張り続けます!

隣は代表の米川ですw

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