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コンテクストデザインの実践企画(高城編)

前までに書いた記事を一旦下書きに戻し、長い長い大学生活の最後に、noteを改めて書きはじめます。続くかは正直わからないですが。
そして今回は本稿を書くことになった経緯と、ゼミの課題である「コンテクストデザインの実践企画」について書いていきたいと思います。

経緯

私は慶應義塾大学SFCに所属をしており、経営学を扱う琴坂将広さんの研究会と、コンテクストデザインを扱う特別招聘教授の渡邉康太郎さんの開講するサブゼミに所属をしています。ちなみに、昨年退任された渡辺賢治さんの東洋医学の研究会も履修させてもらっておりました。

(慶應義塾大学では"先生"は福澤諭吉先生ただ一人という考えより、正式な通達関連では"くん"を使い、学生は先生のことを"さん"付けて呼ぶことも多いです。ここでは"さん"付けで書いてまいります。詳しくはこちら。)

今回は「コンテクストデザインの実践企画」がゼミの課題として設定され、その企画案をnoteに書くというかなりの羞恥プレイ。。。ただ、康太郎さんからはこのようなお言葉を。

未熟な思考・実践でも、後悔することが大事です。自己・他者との対話が始まる大事なきっかけになります。

確かになと納得しましたので、こうして恐々とnoteを再起動させることとなりました。

コンテクストデザインってなんぞ??」ってかたはまずはこちらをご一読ください。

1. 自身がインスピレーションを受けたものの年表

私がいままでの人生の中でインスピレーションを受けた作品はこちらです。(西暦と年齢は出会った時のもの。記憶の限りですが。。。)

実家が飲食や小売のお店を経営するような家だったので、国内外の様々なレストランにも行っていました。その中でも鉄板焼きでパフォーマンスをしてくれるBENIHANAと、お店の中で魚が釣れるざうおは初めてみたときに衝撃を受けたのを覚えています。

家にPCがあって自由にさわれていたので、6歳くらいからいろいろと触っておりました。中学にあがってすぐにさわり始めたモバゲータウンニコニコ動画は、物質の世界でないデジタルの世界でも生きていくことが可能であると教えてくれた存在だと言えると思います。

2. 自分なりの社会彫刻・創作

社会彫刻という言葉は、ドイツの芸術家であるヨーゼフ・ボイスが提唱した概念です。アートスケープにはこのようにか書かれています。

あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与しうる、すなわち、誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならない、という呼びかけである。

なるほど。最近私はGood Lifeという言葉をよく使っているんですが、社会彫刻はGood Lifeを実現するために自分個人としても行わなければならない活動ということと解釈をしました。

それをふまえると、私にとっての社会彫刻は「コリをほぐす」ことかなと。
私も結構、悩まされていますが、肩こりは辛いですよね。血管が収縮していると、血液がうまく流れずに栄養素がいろんなところに届かず、肩こりが起きると言われています。

私には「体験設計ができる人を育てるられる人を育てる」という人生のテーマがあります。素敵な体験設計のためには適切な情報を、アクター(ユーザーとか、顧客とか、パートナーとかの総称)に適切な量、流さ続けなければなりません。
しかしながら情報量が多すぎたり、少なすぎたり、アクターの条件が整ってない状態に流すと、途端に提供価値が下がってしまいます。

これを体験設計に例えると、血液は情報量で、血管はアクターかなと。
なので、ワークショップをやって血管や筋肉の状態を整えたり、リサーチして血液は流れているのか、血管の状態はなんなのかを分析したり。

そうなってくると「組織やコミュニティって筋肉?」、「じゃあ人体って国?」とかいろいろ浮かんでくるのですが、そこらへんはまだ言語化できてないです。

ただ、やりたいこととして、側からみたときに「コッてますね!」という部分をほぐしながら、社会全体の血の巡りをよくしたいと思ってます。

3. 自分にとってのコンテクストデザインの解釈(または、誤読)

私にとってのコンテクストデザインですが、いま卒論のテーマともなっているService-dominant logicとの親和性を皮切りにコンテクストデザインの概念に触れ始めました。

Service-dominant logicには「文脈価値」いう概念があります。ユーザーや顧客が自分自身の文脈においてサービスの持つ価値を解釈し、自分の持つスキルやナレッジを用いてその価値を発揮させるという概念です。

その中で、サービスの提供側が「こういうユーザーにこうやって使って欲しい」という強い文脈と、ユーザーや顧客がそれを解釈し価値を発揮させる弱い文脈があります。
その弱い文脈を幅広く受け入れる準備を、設計段階からあらかじめしておくことをコンテクストデザインと呼ぶのだと解釈しています。

4. 自分なりのコンテクストデザイン的企画案

私がサブゼミの中でやりたいコンテクストデザイン的企画は「誤読のためのワークショップ」という企画です。

コンテクストデザインでは読み手がどのように読むのかを想像(あるいは妄想)しながら強い文脈を作っていきます。そのため、読み手がどのようなことをヒントにしながら解釈し誤読していくのかを理解する必要があります。

そのため、本ワークショップでは、参加者が街に出て心揺さぶられるものをみつけ、お互いに誤読をしながら、その誤読という行為を認知するということをやっていきたいと考えています。

まだまだ荒い概要ですが、自分以外の人がどんな誤読をするのか、誤読とはどのようにおこなわれているのかを知ることで、コンテクストデザインのための余白を設計することができるようになれればと思っています。

さいごに

レポートや、論文などを書く機会はもちろん多かったですが、自分の思いや人生を振り返りながらこれぐらいの分量の文章を書くのは久しぶりでした。

思考を言葉に、言葉を文字にしながら、自分自身を綴るというのはすごく大事な行為だなと。

ゼミの課題の進捗もまたnoteで載せたいですが、もっと短く、自分の思考をセーブする場としてnoteを引き続き使っていきたいです。

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