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母親は猫がきらいだと言い放ったが…

昨夏ぐらいだろうか。うっかり訊いてしまった。
顔をしかめて「大っ嫌い!」と言われてしまった。
そうか…忘れてた。こんな思い出もあったなあ。
(アイキャッチ画像の野良様はイメージです)

この人の母親(つまり私からいえば祖母)の妹にあたる人 — なんと呼べばいいのかわからなかったからググったら大叔母(おおおば)というのだそうな — とのつきあいがあった。その人は祖父母宅から徒歩2分ぐらいのアパートにひとりで暮らしていた。私が小中学生のころには、両親に連れられて初詣に行った足で祖父母の家に行き、そのあとで大叔母の家を訪れていたっけ。

大叔母の部屋を訪ねると、どの年もきまって小さなテレビで箱根駅伝を見てた。
申し訳ないが私にはいまもむかしも、駅伝のおもしろさというのが良くわからないのだけれど…いつも長いコードの端のイヤホンをつかって片耳で音声を聞きながら小さなこたつに座って観戦していたっけ。

それほど耳が遠かったのかどうか。私たちが家族で訪れるとふつうにもてなしてくれていた。会話にもそれほど苦労した覚えはないから、ひょっとすると近所迷惑にならないようにイヤホンを使っていただけだったのかもしれない。


昭和の年寄りって悪口陰口が大好きだった


当時の私は、年長者に媚びる〝いい子〟の見本みたいな不気味な子供だった。

わりと頻繁に、祖母や大叔母の家へ電車を3本ぐらい乗り継いで赴いた。
幼いうちは母親や妹と一緒だったけれど、中高生ぐらいになってからも一人でよく足を運んでいたと思う。

どんな話をしただろう…ひたすら私は聞き役だったと思う。

祖母はいつも、この人の妹にあたる大叔母の愚痴や悪口ばかり言ってた。
あとは母親の姉にあたる人(伯母)の息子(従兄弟)に対する悪口。
「あの子は頭が悪い」とよく言っていた。しんどい話ばかりだったはずだ。
訪れてから帰るまでずっと悪口ばかり。
それでも私のことはすごく可愛がってくれた。
別れぎわには、必ず千円札1枚をおこづかいとして持たせてくれた。

で、そのあとすぐに大叔母のアパートを訪ねるわけなんだけれど…今度は、ついさっきまで喋っていた祖母の愚痴や悪口ばかりを聞かされるわけだ(苦笑)。

大叔母のほうはくだんの従兄弟と仲がよくて、ふたりで旅行にも行ったとか言っていた。大叔母はきっと、祖母が従兄弟を悪く言うところも気に入らなかったのだろうな。
こちらもまた、訪れてから帰るまでずっと悪口ばかり。
それでも私が訪れると機嫌よく迎えてくれた。

祖母が定期テストの期間中に亡くなった


祖父がボケてしまった。この時代の平均寿命はいまより10年ぐらい短かったから、おそらく70歳前後で痴呆してしまったはずだ。

同じく認知症になってしまった母親が現在80歳。いまのところは症状はマイルドなほうだ。祖父に至っては末期には糞便を壁になすりつけるようなところまでいっちゃってたらしい。母親のほうは徘徊して2度ほど警察さんのお世話になってしまったらしいけれど、いまのところは短期記憶がいかれてしまったのと、たまに感情失禁を起こすぐらいなのでまだ可愛らしいものだ(余談だけど、そんなぐらいなんだから、本人がしんどくなる薬を服ませなくていいのにって思う)。

祖母は突然旅立ってしまった。祖父の介護で心労がたまってしまったのだろう(いま思えば不思議なのだが、祖父の悪口はほとんど聞かされなかったような)。就寝中に心臓発作を起こしてしまったらしい。

すぐさま祖父も病院に入院することになり(いきさつは全く教えられていない)祖母から数ヶ月もたたないぐらいで旅立った。
病院に見舞いに行った目の前で、心拍数がさがってそのまま亡くなってしまったはずだ。いや、いくら思い出そうとしてもまるで記憶がおぼろげだ。ひょっとすると、そのころに見た夢がそのまま事実とすり替えられているかもしれない。なぜかそれほどにリアリティがない。なんでだろう?

母親の猫嫌いの理由


祖父母が亡くなってまもない頃に、大叔母が近所に越してきた。

私の実家から電車ですぐの場所なんだけど、それこそ歩いていけるぐらいの住宅街に遠縁の親戚にあたる家族が暮らしていたので、そちらをあてにしたのだろう。京大に通っているオニイサンがいて、一時期だけ家庭教師に来てもらっていた。物腰のやわらかい人ではあったのけれど、「親切な物理」という分厚い参考書で、どうやればこれほどわかりにくく説明できるんだろうかってほどにわかりづらい物理を教わったことだけははっきり覚えている。頭悪くて申し訳ない。

話がそれた。いつものことだから勘弁してくれ。

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大叔母の家を訪れて玄関をあけると真っ先に、鼻先へすえた匂いが襲ってきた。

母親の猫嫌いの理由はわかっている。これなのだ。

大叔母は押し入れのなかで猫を飼っていた。

私の記憶が確かなら、黒いぶちの入った白猫さんだったと思う。
あまり猫の容姿は覚えていない。というか当時、ちゃんと正視できていない。
公営団地だからおそらくペットの飼育は禁止だったはずだ。あるいは母親が全力で拒否しまくって、猫が押し入れから出てこないようにお願いしていたのかもしれない。そうだったら大叔母に対しても気の毒なことだったと思う。

で…おそらく母親に同調することを余儀なくされていたがゆえに、当時の私は、猫にはこれっぽちも好意を抱いていなかったはず。
何より私は、ペットを飼ったことのない都会っ子だ。

大叔母も数年ほどして、この世を去った。
ちゃんと身寄りがあるのに、遺体は医大に献体された。

たぶん葬式もなかったと思うし、私は亡き骸に対面していないはずだ。
ご献体は医学部に進んだ学生たちの解剖の教材となる。彼らは親元を離れることの多い入学前に、一緒に礼服も買ってしまうみたいだ。自らの学習と経験のためご献体にメスを入れるときに、弔う儀式がちゃんとあるらしい。
そんなわけで、弔ってもらってはいるのだろうけれど…

なんでだろう。謎だらけの寂しい最期。
いまや母親も先に述べたとおりだから、もう何もかも知る術がない。

現在の私は猫さまが大好物


いつどこで、なぜスイッチが入ったものだか。

おそらくネット時代になってから、アスキーアートのモチーフとして猫さまが頻繁に登場するようになったあたりで、不意にスイッチが入ったのだろう。

お高いので最近はほとんど行かなくなってしまったが、一時期はよく猫カフェで仕事の資料をつくっていた。店内に入るとまっさきに机に上ってきて、ノートパソコンのキーの上に寝転んでしまうやつもいたなあ。まだいるんだろうか。元気にしてるんだろうか。私のMacbookはすぐに熱を持ってしまうから、きっとその温感が大好きだったんだろう(笑)。

ニャバ嬢(男の娘)とMacbook


ちゃんと飼う自信がないのと、家内も私も家を空けることが多いのと、わりと最近までうちのマンションがペット禁止だった(ただマンションごと高齢化がすすんだので、現在は有名無実ってことになっていて、そこらじゅうから犬の鳴き声が聞こえる)こと…等々で、ペットは飼っていないけど、YouTubeでときどき猫様動画を見に行って癒していただいたりもする。

衛生的に飼えばこれっぽちも不潔ではない。人生の40年あまり猫という生き物に興味関心を持たなかったことで、ずいぶん損をしたと思っているぐらいだ。

老いぼれて人様から見はなされたあとの余生は、猫さまに構っていただこうと思っている。猫さまにはいい迷惑だろうけれどな。

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