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昭和後期人の私がもしZ世代に生まれていたら (主に大学進学の観点から)

Z世代とはおもに、生まれた時点でインターネットが利用可能であった最初の世代を指す。日本においては、祖父母が1940年代生まれ(戦中生まれ世代及び団塊の世代)、両親が1970年代生まれ(就職氷河期世代)というケースが多い。

Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/Z世代  より引用(筆者による加筆あり)

現在の私は55歳。職業柄、精神年齢は若い(厨二病に罹患している説もある)。一浪して大学に入ってから社会に出た。現在〝共通テスト〟と呼ばれている大学入試試験が、まだ〝共通一次〝から〝センター試験〟へと変わる境目あたりの世代だ。


私にはいちばんの鬼門は英語


ネット上はもちろんのこと、私が学生だったころと比べて本当に街中にも英語が増えた。電車の車掌さん(もしくは自動音声)のアナウンスにまで、日本語の案内につづいて英語の案内が入る。

英語に関していえば、生活しているというだけで聞き取りの力は確実に身についている。普段聴いている特急の自動音声アナウンスなら聞き取れる。実は最初「ウエルカム・ア…ボ?ボーイ…?」ってふうで何言ってるんだろと思っていたが、乗るたびにそれを聴かされてモヤモヤするのであるとき観念して調べた。それは 
Welcome aboard と言ってるのだと知った。いまどきの高校生にカミングアウトしたら、頭悪っ!て言われそうだ。

私の時代の大学入試センター主催の試験には、まだリスニングは無かった。受験勉強はどちらかといえば、文法のことを分厚くやる傾向があった。つい最近、何かの記事で「仮定法過去」が前倒しされて中学生で学ぶ内容になっているというのをみたような気がするのだが、ひどく驚いている。

暗記も「聞いて喋る」ことも、とても苦手な理工系出身者です。

学生時代の国語はうまく点数が取れなかった


実はそれほど国語って教科自体が嫌いなわけではなかった。いまでは、こういう文章を書くことが趣味になっているぐらいだ。読書も好きだったほうだし。

ただ、試験ってことになると話は別。ほんと嫌になるほど点数が取れなかった。

主観を排除して客観的に読むことのスキルが問われているのだよキミ — タイムマシンに乗って、高校時代の自分のところへ家庭教師をしに行きたい。ただ、論説文はまだしも、物語文を主観的に読まずして、果たして読書の何が楽しいということになるのだろう?というのが、当時の私が漠然と思っていたこと。いまの自分と高校時代の自分が取っ組み合いの大喧嘩をすることは想像に難くない。

古文漢文にしても、単純な暗記が極度に苦手な私にとってはかなり大変だった。
ただ、人間の記憶力ってのはすごい。「あり・おり・はべり・いまそかり」なんてフレーズ。いまでも誦んじることができるわけだが、はたして何のトピックと結びついていたことやら。そもそも、文字として側頭葉から取り出したのって何十年ぶりなんだ?

この時代、知識に関してはネット検索がすぐに応えてくれる。すごい。私が覚えていたフレーズの答えあわせをいまやってきた。正確には「おり」ではなく「をり」だとか、これがラ行変格活用動詞のことを指しているとか。ああそうだ。

辞書がネット検索があるのだから、暗記はいらない?


扱う情報量に関しては、昭和との比なんかではない。

USBに挿して使うフラッシュメモリーの容量は、いまやギガ単位でなければ使い物にならない。でも昭和の末期の記憶媒体(フロッピーディスク)は、コンビニで簡単に入手できる3.5インチものが1.44MBだったかな1.6MBだったかな。初期の家庭用のパソコンに内蔵していたハードディスクでさえ、まだギガという単位には遠く及んでいなかった。大学の研究室で使ってたパソコンのフロッピーに至っては、ぺらぺらの8インチものだった。容量は覚えていない。いま私の部屋にある外付けハードディスクの容量は2TB(テラ)だ。

記憶媒体がこれだけ使い勝手がいいことだし、ネット検索もある。そろそろ暗記を課する分量・負担を減らす目的で、試験会場に電子辞書を持ち込んでいいことにすればどうだ? 最近では英語の共通テストも、国語(現代文)のテストをそのまま英語化してしまったような姿に様変わりしているというから(ちょっと大げさかもですが)。必要な語彙の分量を減らすなどできないものか。

そうはいかないだろうな。

思うに暗記というのは結構大事だ。異なる情報を結びつけて、なにか新しい考えを得るためには、脳内に記憶された対象が置かれていることが必要だ。こればかりは譲れない。

いや、そういうこともそのうちAIがやってくれるようになるから
・・・
 どこまで発展(いや、もはや暴走じゃねえか)していくんだろう?

さて、昭和後期人の私がもしZ世代に生まれていたら


前説が長すぎるわっ!! ほんとすみません。ごめんなさいです。

はい。まちがいなくドロップアウトしていると思います。


「文部科学省の無理ゲーすぎる要求」との折り合いの問題


まず、これほど履修内容が増えてしまっていては、深堀りする時間がない。来年度入試からは、さらに「情報」という教科も共通テストで課せられる。分量としてすでに相当厳しい状況だと言わざるを得ない。

処理スピードに関して。私は速読が大の苦手だ。とことん時間をかけて掘り下げることは決して苦手でもないのだけど。教育現場や文科省が要求しているスピードで、物事を噛み砕いてインプットすることができる人ってのは、よほどスペックの高い人だと思う。私はテストの問題を解かされているとき、わからないからってよりは時間不足で点数が取れないタイプ(これは昔からそうです)。

ゆっくりやって満点が取れないのなら、スピードをあげたらなおさら取れる点数は低くなってあたり前。なのに最近の教育ってのは、膨大な量であることを巧みにごまかして、ひたすらこの分量をスピーディーにやれ!とずいぶん乱暴なことを要求しすぎている気がしてならない。深堀りできないものは頭に入らない性分でして。

私が卒業した大学に、いまの時代に現役か1浪で受かる自信はこれっぽちもない。3浪か4浪ぐらいしてようやく…って感じではないかと。


「いじめ」の問題を乗り越える自信がない


育ちもろもろの理由で学生時代にはいじめというものにずいぶん悩まされた(note上にこれまでに書いた記事でもしばしば触れているので、もしお時間のある方はおつきあいいただければ嬉しいです)。

もし当時の私が、いまマスコミでよく言われるティーンエイジャーのコミュニティーに投げ込まれたとしたら、ほぼまちがいなく逃げていると思う。SNSで拘束され、既読がついたつかないで苛立たれて、果ては「死ね」という言葉が淡々とした語調で飛び交ったりするのだろうか。おそろしくて生きた心地もしない。

かつてのいじめというのは、勉強が苦手なヤンチャものが優等生や気の小さな子をいじめるといったものであることが多かった。いまのいじめはまさに大人社会のコピーさながらに、器用な奴が不器用な奴をいじめるといったふうだという。さすがにそれをやられたら無理だ。私は典型的な〝不器用な努力家〟タイプで、最初から洗練されたことをやってのける天賦なんてこれっぽちもない。いまの教育制度のなかだったらおそらく、私が伸びるまで待ってなんかもらえない。

救いは「逃げる」という選択肢に関してだけは、いまの時代、昭和後期より許容度が広くなっていることぐらい。それでも親とひと悶着あるだろうし、逃げてしまったあとのことは自分の責任として引き受けなくてはならない。逃げてしまったそのあとが問題だ。当人本来の才能・能力・努力の素養からみて、はるかにQOLの低い人生を余儀なくされる。不憫だ。

経済的な問題


私の学生時代はまさに「国民総中流」といわれていた時代。現代ほど、同級生間での貧富差が極端ではなかったのだ。ほぼフェアな戦いができた(はず)。

現在はどうか … ここでは深く言及しない。学費だって天と地のちがい。数年前までの娘の授業料(文系)を年間100万円以上払っていたような(一部奨学金も利用させています)。私の時代はたしか年間30万円ぐらいだったはずだ。資料を見つけたのでリンク貼っておきます。

若い世代を最初から路頭に迷わせない社会になればいいのだが


アラフィフとアラカンの境目まで生きてしまった私のことはもういい。
なんとか生き延びるから。

あとは、人生これからという若い世代が萎縮しないで生きられるように社会が整ってほしいと強く願う。少子化したのだから、少しでも救われる若者が多くならなくてはならない。

時短・合理化・ムダの排除?

……いやいやいや、ムダなことをさんざやらかしてはじめて洗練されたものってのが何かがわかるものでしょうに。非合理なことを繰り返しながら、やがて合理的に短い時間で物事が処理できるようになるのではないか。教育の側がちょっと、結果至上主義になりすぎているのではないかい?

人間なんだから。環境が進化しても、人間がいきなり進化できるわけがない。

脳というハードウエア自体が、どんなに頑張っても生物学的なものを超えることはできない(それともメモリを病院で換装してもらう時代がくるんでしょうか? いや冗談です)。これからの納税世代がしっかり頑張れるような状況こそが、私の老後が安泰なのか否かと大きく結びつくのだと思っています。時代の厳しさを思うに、せめてティーンエイジまでは〝ゆとり教育〟時代ぐらいの分量でじっくりってほうが、素質を殺さずに若者を大学へと歩んでもらう意味ではまだ良かったのではないかと(あくまで私個人の考えです)。

4000字弱 — ほんとすみません。ここまでお付き合いいただいたみなさま、本当ありがとうございました。
それでは、また。

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