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言の葉譚<005>『知識と智慧』

「言葉をめぐる悲喜交々ひきこもごもを年の功でまぶして陳述すれば、しかるべき人びとには多少なりお役にも立たんと、かう思ひ立ったのだが如何だらうか」、との前触れで書き始めたこの『言の葉譚』だが、此処ここまでの数篇が如何に読まれてをらうか気懸りだ。

noteの何たるかもわきまえずに書き始めたが、この数編を読まれた見知らぬあるご仁に端なくもかう耳打ちされた。「英語狙いにとっては、こりゃ知識よりは智慧ちえだな」。広く言の葉狙いの積もりだが、さう言われてみれば英語に悩むやからにはさもありなんと納得。このご仁が重ねて云ふには、noteと云ふ場所では役立つ知識が売れるのだ、と。ひょっとすると智慧も・・・と囁くではないか。一瞬、耳を疑ふ。

聞き捨てならぬ。早速に掲載記事の探訪をしておどろいた。確かに記事に値段がついてをる。読み砕けば、それぞれ即座に役立つ知識が披露されてをる。成程、知識が売られてをる。例のご仁の言ひ草通りだ。智慧もあるいは売れるぞとの彼のほのめかしは、煎じ詰めれば、言の葉譚に見え隠れる智慧にも値段が付くかもしれぬとの示唆と聞き取れる。

そこで、改めてわが言の葉譚の本義を考へて見る。

言の葉つまり巷で云ふ「言葉」がことほか気になる吾輩が、幼い頃、英語を知る前に綴り方(戦前の国語の一科目)にまって日本語の素晴らしさを体で知り、長じて英語を学ぶ過程で日本語の精緻さに目覚め、和英両語の妙なる相関関係に気付き、長い在米生活でし取ったバイリンガルのエッセンスを活かし、書きものと翻訳を生業なりはいにいま傘寿半ばを超える老境に至ってをる。この何とも長い歳月にわたって蔓延はびこった知恵と云おうか智慧と云おうか、苔さながらの有機体に値が付くものなら付けて見たいものだ、例のご仁の耳打ちにこたえる要領で、さう思ひついた次第。

「これを覚えれば英語が上手くなる」式の知恵なら幾らでもあるが、金ではなく時間を経ねば手に入らぬ智慧がある。八十数年の時間、それも只管ひたすら英語を座標に累積した「苔」は金では買えないものだ。わが田に水を引くのも何だが、吾輩の英語話し、否、言の葉譚にはその相当部分が包含されてをる。大金持ちでも買えないものがある。歳を重ねなくば手に入らぬものがある。

この言の葉譚は百遍を目途としてをる。週一編として二年、言わば渾身こんしんの散文譚だ。度々述べてをるが、これほど精緻を極める日本語をさばく日本人が英語を苦手とするのは不条理だ、「日本人は英語が下手」との下世話の評は根拠がない、かうすれば条理を通すことができる、かうすれば英語と云ふ便利な言葉が諸君の薬籠やくらうに入るぞよ、と口移しでお授けするのが吾輩の本意だ。

改めての前触れ

と云ふわけで、次稿から言の葉譚に細やかな値を付けさせて頂く所存だ。値と云へば角が立つが、この老爺が文字を綴りながら啜る茶代とお考えいただき、下世話の投げ銭感覚で放り込んでいただければ幸甚だ。五入すれば卒寿の吾輩の筆が、快く運ぶやうにお支え頂ければ、これに勝る愉しみはない。

言の葉譚5-2


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