見出し画像

言の葉譚<001> 「易しい英語、難しい日本語」

恐れながら罷り出た吾輩は、いま傘寿半ばの八十六歳、これまでの歳月をほぼ英語漬け、いや、母国の日本語と絡めてのバイリンガル生活漬けで送って参った奇物だ。日本を負かしたアメリカをこの目で見たい一心で、あぶく銭を掻き集めて被の地に留学、刷り込み覚えた英語を飯の種に此処まで生き延びた、自分で云ふのも何だがごく稀な、いわば奇人だ。

その間、これぞと云ふ体験をまあ無数にしてをるが、この年月で肝に命じたことは、英語が何と学ぶに易くすこぶる効率的な言葉か、わが日本語がごく奥深く含蓄に富み学ぶにあくまで難儀な言葉か、と云ふこと。さらに、それと知らずに大方の日本人が「お前らは英語が下手だ」との蔑みに甘んじてきた現実だ。

画像1

かく云ふ吾輩は、学術的な切り口で英語に対峙したのでなく、赤児が言葉を「身につける」式でこれが刷り込まれ洗練されたプロセスを実体験して参った。そのプロセスで、ほぼ究極の感慨として、それが学ぶに易い言葉だと思ふに至った、と云ふわけなのだ。その例証として、以下ふたつほど好対照な経験談をお聞きいただく。

先ず、高校時代に恐々(こわごわ)触って弾き飛ばされたカントが、何年か経った留学先のアメリカで、やうやく場慣れた英語で読み直して辻褄が合い、おや程々食えるなと知ったあの感覚が、今更懐かしく思ひ出される。高校生の日本語感覚ではお経にも思へた哲学書が英語ですんなり分かる意外さが、二十歳そこそこの吾輩にはただ奇妙なことだった。

更に後年、古希半ばである書籍を英訳する機会があった。訳書の読後感のひとつに「原書より読み易い」と云ふのがあって、吾輩は前述のカントの例の逆を行く体験をしたのである。この本は、日本統治時代に覚え知った日本語で母国の苦悶を声淚ともに下るかに綴ったある台湾人学究の労作で、亡命先の日本で白色テロに晒される台湾を偲び、その歴史を血を吐く想いで綴った歴史書だ。その文調の凛々しさ、綴る内容の緻密さから、英訳の試みが数度頓挫したと云ふ曰く付きのしろものだ。

何を隠そう、同書の著者は人ぞ知る王育徳で、令嬢の王明理女史からの強っての依頼で吾輩にお鉢が回ってきた。一瞬脚が竦んだが、その格調高い文調に訳欲を唆られた吾輩は、ままよとこれを引き受け三年掛けて訳了した。原書より訳書の方が読み易いとの読後感は、当の王明理女史のそれだった。

画像2

やや冗長になったが、以上ふたつの例証で吾輩は英語の何たるか、その流れで日本語の持つ妙なる味わいを改めて悟ったのだ。もっと砕いて言へば、英語が如何に覚えるに易しく、使って効率的な言葉かと云ふこと、また日本語が如何に含蓄が深く覚え難い、即他言語に訳し難い言葉であるかということが、この歳になって沁みじみ思った次第である。

このnoteなる場が一体全体如何なるものが、見知って未だ旬日に満たぬいま、ほぼ皆目判らない。ただ、思ふところを語り綴ってはひと様の興に供える場らしきものだとは、どうやら判ってきた。そこで、傘寿半ばの吾輩が辿ってきた半世紀余の日本語と英語絡みの歳月に体験したあれこれを語って、これから似たような道を歩かれる人たちの手引きにでもなれば、と思い立った次第。そんな想ひで気儘な「言の葉譚(たん)」を語り重ねてみようと思う。

これから始まる吾輩の言の葉譚は、常に流れる通奏低音に次のやうな対照的な想ひがあることをご承知願ひたい。

ひとつ、日本語と云ふ言葉が世の言語群のなかで、抜きん出てユニークかつ卓抜、含蓄に富み、表現力があくまで豊かな言語であり、これを学ぶ外つ国びとが遂にネイティブにはなり得ぬほど会得不能な言葉と云ふこと。

ふたつ、日本語の対照としての英語が何と学ぶに易き言葉か、日本人がそれを苦手にする理由は他でもない、己の母国語たる日本語を介して英語に対する姿勢そのものにある、ということだ。

さて、そのような座標上に語られる言の葉譚が如何なる軌跡を辿るやら、当の吾輩にも見当がつかぬ。我流の旧仮名遣ひが目障りにならぬことを念じつつ、先ずは、緞帳(どんちょう)を揚げて・・・♪トザイ、トーザイ(東西、東西)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?