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もし「聖書」を教えるなら

 友人に若者との読書会について話を振っていたら「ハセさんとやるなら、やっぱり聖書でしょ、いつか読まないとダメなものですし」と言われ、考え込んでしまった。ぼくの答えは「どうせ読んでも判らないんだから、読まないほうがいい」である。友人いわく「たとえば、月1回、全5回でどうですか」と。

 ぱっと思いつくのは、全5回で各回60分なら何をするか。すぐに思いつく割り振りは以下である。まず1回の講義を15分×4に分割。15分-1が総論的説明、15-2が各論的解説、15-3が実読、15-4が質疑応答だろうか。とすると以下の様になる。回数、総論、各論、実読、質疑の順で記す。

第1回 「聖書」とは何か、聖書と宗教、「律法」モーセ5書から5カ所
第2回 終末論、アイデンティティ、「預言者」大預言書/小預言書
第3回 契約、喜怒哀楽、「真理の書」から
第4回 翻訳聖書と福音、史的イエスとキリスト信仰、福音書から
第5回 使徒性と著者性、教会と使徒後教父、パウロ、牧会書簡、黙示録

 ざっと考えてみたが、やはり通読しなくては断片的になる。難しい。本当に「聖書を読みたい」なら、やはり聖書を読むと看板を掲げている教会などに頼むのが良いのかもしれない。もちろん友人知人が願うなら、ぼくが対応しても良いが。いやはや「聖書を教える」なんてのは、よく分からないことである。

 一方では、毎日読んで一年かけて通読するくらいの気力がある人ならば手伝いたい気もするが、そんなのは信者でも稀であるし、そこまでやる気があれば自分で学ぶだろう。一方で、せいぜい数時間で分かった気になりたい欲望を捨ておくこともできない。しかし資源と時間は限られている。

 世界中の名著古典で同様のことがあるのだと思う。100分で名著といった企画もあるそうだが、果たして、どこまで有効なのか、よく分からない。

 「聖書」の何を知りたいのか。この問いは「聖書」を知るために、どれくらいコスト(時間や金、体力と気力)を費やすことができるのか、という問いに変換できる。結局、知りたいと願う人がかけられるコストに応じたものを用意するのがベストであると思う。

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