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京大で教えてみた

 2015年3月、宣教師としても教職としても蹉跌をふみ切ったぼくは、京都に漂着して、同年4月、大学院に入りなおした。30代なかば、再びモラトリアムである。否、人生のほとんどがモラトリアムだった。それゆえ宗教をこじらせて社会的サナトリウムへ入院。おそらく退院は棄民、あるいは永眠。

 あれから数年を経て、いま短い期間ながら教壇に立つことになった。この展開を予想はしていなかった。いつだったか、神戸のバイブルハウスかどこかで水垣渉先生の講演をきいた。そこで語られた「キリスト教とは多様な聖書的伝統である」との定式は、ぼくの道しるべとなった。14才で教会に通うようになり、17才でキリスト教徒になったぼくの根源的問い、それが「結局キリスト教とは何なのか」だった。京都大学キリスト教学研究室との出会いだった。

 福音派でそだち、改革派を学び、方々に迷惑をかけながら自己批判を強めた当時のぼくは信仰の自己解体が始まっていた。キリスト教の他なる伝統を批判するには、まずは徹底的な自己批判から始めなくてはならない。結果、ぼくのナイーヴな信仰は自己解体のち雲散霧消した。ところが、それが信仰形成の開始だった。終わりは始まりだった。

 そして長い学生時代のあとで100年を超える学統の末端をほんのわずかに担う機会をいただいて教壇に立っている。

吉田寮でやってた謎の屋台村で食べたホルモン焼き

 分担講義のテーマは「終末論」だ。キリスト教神学の最終科目にして世界/歴史の窮みに刮目すべき学科である。しかし、それを論じるためには、最低でも大学院レベルの神学校で3年間は学ばなくてはならない。しかし目の前に座るのは、3回生である。終末論の講義をとるなら、本来あと2年専門科目を履修したのち、卒論を書き、大学院レベルで神学の世界をかじったあとになる。最後にふれるもの、それが「終末論」なのだ。要するに3回生は何も知らないのだ。

 はたしてどうするべきか。少なくとも眼前の青年らにとって有意義でなくてはならない。授業である以上、毎回何かしら知識を体得してもらわねば、教壇に立つ意味がない。創造、堕落、贖罪、終末、完成。Imago Dei、ツェレムとデムート、キリストの消極的服従――個人的には戦隊ヒーローのレッド、ブルー並みに聞きなれた用語のすべてが通じない若者を前にたじろぐ中年になってしまった。

 宗教を学術的に扱うのは難しい。いうまでもなく研究対象によって方法は変化する。変化しなくてはならない。なぜなら宗教は近づくものに主体性を要求する。主体性をキャンセルして理解をもとめるものは傍観者であって、宗教とは無関係である。もちろん「宗教」の定義による。賢明な読者ならば、この程度の問題はふまえてくれるだろう。

 さらに一般大学において、とくに国立大学において「宗教」を講じることが難しい。神学部なら、信仰告白にしたがって教派の理念にそって教えればよい。しかし国立大学である以上、あくまで研究として学術的にフラットに記述しなくてはならない。それゆえ、いかなる宗教の信仰体系も知的に相対化する必要がある。宗教は、「キリスト教」は、残酷なまでに怜悧に徹底的に相対化されなくてはならない。

 とはいえ研究対象が宗教である以上、近づくものは、自らの価値を中立的に保つことは難しくなる。だから学術が必要になる。自らを主体的ならしめる場が必要なのだ。いわば結界術、それが学術であり、その道が学問である。それがない場合、深海に落ちていくように、ただ飲み込まれてしまう。クラスに来る青年たちは、訓練なしに好奇心で深淵をのぞき込もうとする村の若者である。

鴨川近くの映画館と古本屋

 来週は休暇のため休講となる。今日までにオリエンテーションをふくむ3回の講義を終えた。いまだ初歩の手ほどきばかりで、終末論の内実には届かない。聖書物語、教会史、教理史などの基礎知識を要約し概略的にのべることに時間を割いてしまう。それでも参加学生たちからは質問が来る。まっすぐな知的好奇心にあてられて、思わず冗談も増えてしまう。冗長、冗漫、上機嫌になってしまう。

 天正8年だったか、ふとイエズス会が設立したセミナリヨを思い出す。幕府の禁教令まで30年ほど続いた、日本初の神学校である。それは日本で最初の大学的な意味でのゼミであり、セミナーであり、セミナリーであった。荒れ果てた固い岩地、または底なし沼に浮く、未来に向かう苗床だった。

 大学側の要求は英語専門書の読解である。しかし基礎知識と前提がなくては話が難しい。授業の後半では同僚にタスキをわたし、学生たちはブルトマンの非神話化に触れることになる。あと4回の演習クラスで、なんとか彼らの手を引いて、ブルトマンらがみた景色の高嶺、または地底の奥底へと連れていかねばならない。

 教師に手をひかれた彼らが一瞬でもその光景を見ることができたなら十分である。ぼくの役割は果たされたといえる。知的訓練と修養を経なくては得られない世界の解像度がある。若い日にその光と闇、その高さ広さ長さ深さを識ることが、彼らの人生を豊かにする。

 わずかに見えた天上、地底、深淵、大森林の深奥に見える知的世界の最果て、人類の叡知のきわ、または崖っぷち。その記憶に心打たれる青年があるならば、彼/彼女は、先達と古老を轍として踏みしめて、自らその光景の続きを探しにいくだろう。かつて少年だったぼくがそうであるように。聖なるもの、その力は、それほどに強い。

"mysterium tremendum et fascinans" 宗教とは「聖なるもの」である。それは戦慄をもたらし魅惑をはなつ。少なくともクラスをとった学生たちが「終末」の到来による戦慄、それゆえの魅惑を感じてくれるならば、この上ない幸いだ。「聖なるもの」に触れる怖さと楽しさをわずかでも感じてくれるなら、虚数に到達した時給にも意味がある。青年たちの引き出しのわずかな一部にでもなれるなら、現代の蟹工船、労働哀史の丁稚奉公にも満足できる。ま、こんなことがあってもよいじゃないか。「水の上にパンを投げよ」とソロモンの爺さんもいっていたし。そう思う。

地下食堂の安コーヒー

 そんなわけで神への義務、博士論文という呪いの雲が遠ざかっている。神への義務からほどかれた初めてのGWを迎えようとしている。合否は諮問によって決まる。不合格の可能性もある。それでも不十分ながらもなんとか自分ができる最善は尽くした。少なくとも及第点にはなったから、悔いがない。ついでに食い扶持もない。

 そしてサナトリウムにも春がきた。以前、結核は不治の病だった。しかし現代では違う。同様に、ぼくの病も治ったらしい。長期入院への感謝のしるしとしては少ないが、あと数回クラスを担当して青年たちが気づかぬまに踏む道端の砂となって、感謝のしるしに代えたい。退院手続きが始まったのだ。棄民世代として扱われる自分を憐れんでもしようがない。寝て起きて、働いて遊んで、食って眠る。永眠するまで人生は続くのだ、アーメン。

 以上、京大で教えてみた感想である。

京大構内の桜

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