自分が父親になる。。いろんな気持ち。
仕事中に妻からの電話が鳴った。
「パパになるかもよ」
一瞬、戸惑った。
「え?ほんとに?」
何とも言えない瞬間だった。
嬉しさ、不安やら色んな気持ちがごちゃ混ぜになったという感覚だった。
*
自宅に帰って話を聞き、実感が湧いた。
そして妻には負担は掛けたくないという思いも湧いた。
「病院、なるべく一緒に通う」
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妻のお腹が月日が経つごとに大きくなる。
病院の先生から
「いよいよですね!」
「奥さんは里帰り出産だよね?」
「希望の病院とかあるの?」
妻は福岡の実家から通いやすい総合病院に転院できるようにお願いした。
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妻の母親は、妻が10歳の時に癌で亡くなられている。
お義父さんが男手一つで育て、御姉さん家族が実家で一緒に暮らしている。
私からも御姉さん(義姉)にお願いした。
「お世話になります。よろしくお願いします。」
私はあまり甘えることが上手い人間ではなく、人に迷惑を掛けないようにという思いが強いと認識している。
こうやって身内の人にお願いします。とお願いできるのも「妻のおかげ」
と思えた。妻が人付き合いという影の努力をしてくれていたから。
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そしてしばらくは遠距離看病。
慣れない私は御姉さんに必要なものは無いか確認し、新幹線で毎週休みは大阪と福岡を往復した。
*
いよいよ出産前日に病院に向かい、出産の立ち会いを経験する。
予定日のお昼過ぎに陣痛を起こすための注射を射ち、夕方に陣痛が始まり、妻は分娩室に運ばれた。
そこは、まさに「生と死」お狭間で戦っているという光景だった。
妻の意識も限界に近づいてきた。
先生から「帝王切開に切り替えるね。」
私は分娩室から廊下に出て、先生から帝王切開についての説明を聞き、書類に署名してお願いした。
*
手術が終わり、看護師さんから「無事に元気な男の子が生まれましたよ!」と報告を受けたときには夜の11時を回っていた。
御姉さんに無事に誕生したことを報告し、疲れ切った妻のもとに行って
「お疲れ様。。ありがとう。」
そんな言葉しか伝えれなかった。。。
ゆっくり休んで欲しかった。
生まれた赤ちゃんを看護師さんに見せてもらい、実感した。
「ほんとに父親になったんだな」
*
その日の朝一の新幹線で大阪に戻り、会社に報告し、仕事に取り組んだ。
一睡もしてないのに何故か眠くは無かった。
仕事に向き合う気持ちが何となく変わったように思う。
不思議な感覚と覚悟というものも湧いてきた。
また、次の休みに会いに行こう。
出生届を提出し、家族というものの手続きを済ませる。
子供の名前は妻に任せた。
私の提案した名前は全て却下されてしまった。
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