人気同様に徳も高い田中芳樹先生

日本文学史に名を残す某大物作家の作品に惚れ込み、父は編集者になった。
期待に胸を高鳴らせ、憧れの大先生と対面すると、本人には尊敬できる要素が全く見られず、怒りと絶望に襲われたりもした、そんな作品と作者の乖離に虚しい思いをした事も少なくなかったようだ。

父が出版社に入社した時代は現在のようにコンプライアンスを重く捉える風潮がない。
売れてさえいれば作者の人隣りなど重要視されていなかった。

しかし、失望するばかりでなく、作品と同様に人格も素晴らしいなと感嘆させられる作家も確かに存在する。

「銀河英雄伝説」「アルスラーン戦記」などヒット作が多数ある田中芳樹先生を父が担当していた時期がある。
その時に聞いたエピソードは、文字通り心が「ほっこり」させられ、田中芳樹先生の器の大きさを感じずにはいられなかった。

「創竜伝」が既に人気を博していた頃、新刊見本を届けに田中芳樹先生のもとを父が届けた時のこと。

本を献上した際に父自身
「何故こんなに大きなミスに前もって気づかなかったのだろう!」
と驚愕する程の酷い間違いをみつけた時、田中芳樹先生はニコッと笑いながら朗らかに言った。
「あ、誤植みつけちゃった」
帯に大きく書かれた「竜堂四兄弟」の「堂」の字を指差しながら。

「創竜伝」読者であれば、作者本人が笑って済ませられるレベルの誤植ではない事が一目瞭然だろう。
間違えたのは作品の主役である兄弟たちの名字。しかも巨大なフォントサイズで。
「竜堂」ではない。
「竜童」だ。

父はすぐさま平謝りしたが、田中芳樹先生は憤っている様子もなく、終始おだやかな表情だったらしい。

ちなみに、この本は書店からの予約数が好調で販売前から増刷がかかった為、大いなる過ちではあったが、編集部にとっては大事に至らなかったらしい。

話の展開上、必要とあらば容赦なく人気の主要キャラクターを死亡させてしまう事から、小説家としては「殺しの田中芳樹」という異名を持つ。
しかし、人間としての田中芳樹先生は、作品のレベル同様、非常に徳が高く心優しき器の大きな人格者なのである。

ストレスの掛かる編集者人生に於いて、父は田中芳樹先生に随分と癒されたようだった。
作品は作品として独立して捉えればいいじゃないかと心に折り合いをつけたりもするが、優れた作品の作者が尊敬できる人物であるという事は、ファンとしては本当に心が救われる。

そう感じているのは私だけではないだろう。

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