(短歌と文)あめ玉を転がし居座る人の横 見下ろす土は空よりもかたく

あめ玉を転がし居座る人の横 見下ろす土は空よりもかたく

永遠に溶けない、そのままのかたちである飴玉ってないんだろうか?みたいなことを小さいころ考えていた。味を感じるのは舌の味蕾という突起なのだと聞いたことがある。だから、その味蕾が味のみなもとに触れていれば味を感じるという理屈だから、物体が流出して縮んでいくのでなくてもそれがガラスのような透明な飴の状態を保ったままで、それをずっと舐めていられる…って理屈のうえでは何かそういう飴が存在しそうな気がした。
けど、この考えのどこかが何か間違えているのだろう、そういう飴はいま存在しない。たとえばビー玉だと味がしないし、プラスチックもそう。ごろごろするだけ。毛糸、油、セロファン…口にいれてみたら5秒と耐えられなさそうである。味、っていうのは匂いや湿度みたいにかたちが存在せずに膨らんだり流れていくものなのかもしれない………
みたいな。

とりとめもなく、ていうか今でもたまに、考えてしまうのは「あめ」っていうのが幼心に魅力的なものに映ったからだろう。むかし、うちでは飴やジュースをあまり摂らなかったから、食べるのだとしたら誰かからもらったり、特別に出かけるときに買ったりするようなものだったというのもある。いま、小さい子供に飴をあげるとめちゃくちゃ喜んで5個くらいがあっという間に消えるので驚くんだけど、わたし自身もそんなに飴を食べるほうではなかった。口が甘ったるくなるし。せんべいとか、するめとかカルパス、みたいなじじくさいたべものの方が好きだったのである…。(あと梅干しとか、歯が欠けそうなほど食べていた。)

けど、実際今も昔も飴の包装やフォルムっていうのは企業努力により様々な形をしていて、どんな子どもの気をひくのも得意である。

星の形をした淡い色の飴は、味も淡くて、どのいろも薄いサイダーのような感じがしたし、あとはどんぐり飴も好きだったし、純露とかべっこう飴みたいなやつはおいしくておどろいた。べっこう飴を自分で作ってみて気づいたことには、それは混ぜ物が少なくて、砂糖の割合が高いからだったのである。りんご飴、バター飴、流氷飴、そういう、ちょい高めのご当地飴とかって、だからおいしいんだと思う。
昔はかしこまった紙箱に入っていて金平糖みたいなかわいい星型のあめがコロンと出てくるようなのもあったりした。えんぴつの形、キューブ状がふたつにかさなったやつ、棒が付いているペコちゃんのやつ、お祭りで売っているフルーツの飴、どれも、お腹空いてるとかよりも、それがきれいだから口に入れてみたくて手に取っていたのかもしれない。

そんな感じで、特に積極的に食べたいのではないけどものめずらしく感じている飴っていうのは何か…物語に出てくる、外国の女の子とかが飲んでいるよくわからないクスリみたいなイメージがある。(あ、あったあった。)って言って、戸棚とか、鞄から出して効能とかもよくわからないまま、ほんのわずかだけ気分を変えることを知っていて口に入れる。口の中で溶けてなくなるまで歯に当たったりしながら、半透明なそのフォルムはコロコロとそこに居すわっている。


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ポエム、詩、短歌などを作ります。 最近歴史に興味があります。