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20年前と6年後 twenty years ago & six years after

私はいつもテクノロジーの進歩に関心を持っている。なぜかというと、それは昔シヴィライゼーションというゲームで科学技術を素早く進歩させた文明(プレイヤー)が結局勝つという世界観に魅力を感じたからである。もちろん、実際は必ずしもそんなことは無かったのだが、仮に腕力や体力や人間関係に劣っていても技術に詳しければ自分も勝者に成れるのではないかという希望をそれで持ったのである。その延長でテクノロジーに関心を持つようになった。

幸いなことに、十代のうちにパーソナルコンピュータや簡単なプログラミング、インターネットサーフィンに触れる機会があり、それらに対する苦手意識も薄かったし、大きな希望を感じた。大学では文系に進んでしまったが、大量採用しているITエンジニアの職場に入ることもできた(しかしそもそもの組織人としてのコミュニケーション能力が無かったために逃げ出した)。

今は2024年である。20年前はどんな世界だっただろうか? 私にとって、それはもはや思い出すことが難しいほど今とは異なっている。とはいってもほとんどの大学生は携帯端末を持っていた。ガラケーというやつだ。「ポケベル」というのは死語だったはずだ。まだiPhoneもiPS細胞もなかった。日本人はmixiを使い始めていて、まだそのmixiには「あしあと機能」も無かった。海の向こうではFaceBookというのが普及していると聞いた。ホームページを自作する文化も残っていて、キリ番報告といった風習もあった。ネットランナーのようなやや悪ふざけめいた雑誌もあり、ニコニコ動画は黎明期であった。Web2.0とかマルチメディアなんて言葉もあった。マイコン時代からあるBASICマガジンという雑誌はまだ刊行されていて、驚くべきことに読者から投稿されたゲームの長いコードを紙面に載せるというような雑誌であった(まあ、もちろん今でもそういう雑誌はあるが、ダウンロード可能になっているのが当然だろう)。私はネット証券口座を開設し、ライブドア株を買ったりして、もちろんそれらはすべて「紙切れ」になってしまった(しばらくして、私も受け取ることがあった当時のライブドア社で株主向けの通知の封筒入れをしていた人と出会うこともあった)。例えば今なら「今のディープラーニングや人工知能と称されているものは応用統計だ」なんて言う人もいるが、もちろんそんな発想以前の段階で、コンピュータというのは知れば知るほど電卓と大差ないということを実感もしていた。わずかにセルオートマトンの不思議さなどがあったぐらいである。

今は2024年2月である。6年ほど経てばもう2030年だ。今月の目玉ニュースは何と言ってもChatGPTの開発元であるOpenAI社が発表した動画生成モデル Sora だろう。テキストから動画をつくってくれるすごいヤツだ。そのすごさについては専門家も含め多くの人が語ってくれているし、それ以前に動画を自分自身の眼で確かめれば納得だろう。もしこれやこれに類する動画生成サービスが安価に提供されれば、例えばゲームや広告、カラオケの背景画像などの動画素材は一気に単価が下がってしまうだろう。もちろん、従来も動画生成モデルはあったし、Adobe社の写真修正アプリの凄さなどにも画期的な部分はあった。また、いずれは現実世界の物理を加味した動画生成をおこなえるモデルが出てくるだろうという予想もあった。ただ、それが10年ぐらいかかるかなあ……というのが今年、つまりChatGPT4が出てから丸一年ぐらいで発表されてしまったわけだ。そしてこの品質が技術的に「できる」とわかれば他の開発者も追随するであろう。スポーツみたいなものだ。誰かが100mを史上初めて10秒未満で走ったらなぜか他の選手もそれができるようになるものなのだ。そういうわけで、Soraの発表は画期的だったが、おそらく来月にはそれも「2024年の人工知能ニュース」のひとつに埋もれるようなニュースになるのかもしれない。

今はスマホが生活を支配している。それもiPhoneのようなマルチタップが可能なタッチスクリーンを持ったスマホが主流だ。かつてはキーボード入力が主流だったが、それは背景に退いた。2030年にはもう指を動かして入力というのも流行らなくなっているのではないか、そろそろ全自動でこちらの要望を察して先回りしてくれるか、あるいは声か脳波で細かい調整ができるレベルになっているはずだ。しかし、そもそもインプットやアウトプットをしなくていい方向に、あるいは学習そのもののメカニズムがもっと解明されて神経工学にもとづく効果的なプログラムやデバイスが開発されていてもいいのではないかと思う。もっともそれで学ぶ内容は相変わらずの陰謀論なのかもしれないが……。

汎用人工知能のことをAGIと呼ぶ。或る経営者によると、全人類を合計した賢さを持つAGIが出現するのはせいぜい10年前後であろうという。さらにその10年先にはスーパーAGI、つまりASIというのが出てきて、それは人間の1万倍の賢さを持っているという。1万倍も賢ければ、もはやあらゆる点で議論の余地なく賢いに決まっている、というわけだ。そして、1万倍賢いことの根拠はASIが我々人間の1万倍の神経細胞(に当たるチップ)数を持っているからである。ところで、我々の1万分の1しか神経細胞を持っていない動物は何かと言えば、それはもちろんサルなどではない。それは金魚なのだという。金魚にabcを教えても、記号列を教えても、文章や文化を教えてもまったくムダだし理解不能であろう。我々人間はASIにとってそういう存在になってしまうかもしれない。

まあしかし、例えば2030年に早めにAGIやASIが出現しても我々は相変わらずアンバランスな社会に生きているかもしれない。例えば、私は職場のビル(なんでも最新のIoT設備を備えているのだそうだが)の中で相変わらずホチキスの芯をホチキスに手で補充してコピー用紙を綴じたりしているし、鉄道駅では相変わらず人間の行列ができている。ネットでは何の根拠もない話が飛び交っている。2030年もこういうことは変わらなさそうである。

(2,540字、2024.02.22)


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