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賽の河原

「賽の河原」というのは親より先に亡くなった子供たちが行く場所であると聞いている。信頼できる情報源なのかというと、子供たちはずっと賽の河原にいるのであるから、誰かが鬼から賽の河原のことを聞いて、それが伝聞されて私の元に届いたのだろう。

賽の河原では、子供たちは川原で石を積んでタワーを作るという苦役をさせられることになっている。苦役は日本国憲法で禁じられているから、賽の河原は日本ではないか、どこか私企業の秘密拠点なのだろう。また、そもそも川原で小石を積む程度の作業が苦役と呼ぶに相当するのかもよくわからない。親より先に亡くなったペナルティだと聞いたのだが、ペナルティにしてはあまりに軽い作業ではないだろうか。それとも刑期が長いからペナルティとして十分だということになるのだろうか。いろいろと疑問が多い。

たとえ賽の河原であろうとも、児童労働として重労働はさせられないから、週に40時間程度小石を積ませるのが限界なのかもしれない。

賽の河原は子供にペナルティを与える場所だとみんなは言う。しかし私は懐疑的だ。賽の河原はそこに出入りする鬼たちにとってもっと苦痛だと思う。

彼らは道徳的エッセンシャルワーカーで、子供が作ったタワーをぶち壊すという、最初は気持ちいいだろうが結構な重労働をやらされている。鬼だってただで雇われているわけでもなかろうし、無数に繁殖しているわけでもないだろうから、どう考えても子供たちの方が圧倒的に数が多いはずだ。無数のガキどもが川原のあちこちに作ったタワーをすべて破壊するだけでもたいへんだし、監視の手も目も足りないと思われる。

賽の河原は少なく見積もっても数千年前からあるだろうから、そこに収容された子供の数は膨大であり、既に死んでいるのだから殺すこともできない。輪廻転生などで退出するやつがどれぐらいいるかもわからない。組織的に鬼を攪乱し、からかう悪ガキどもがいるに違いないのである。

また、鬼サイドは飽くまで積まれた石を崩すという「受け身」の任務なのに対し、子供サイドは石を無限に積んだり全く積まなかったりできるという攻めの姿勢を取れる。主導権は子供の側にあるのである。

こう考えてみると賽の河原は昔は親不孝な子供へのペナルティを課す場であったのかもしれないが、それは昔の鬼が流した風説に過ぎず(ひょっとしたらその鬼はそう外に漏らすことによって鬼手不足を解消するつもりだったのかもしれない)、実際には何らかの罪があったり経済的に苦しい鬼の方が仕方なくやらされる仕事または刑罰であるとみなすべきだと私は推測している。

(1,064字、2023.09.19)


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