見出し画像

内包と外延のはかない関係

数学の集合論に外延性の公理というのがある。

二つの集合を構成する要素がまったく同じであるとき、二つの集合は等しいとみなす。そういう公理である。つまり、集合の適用範囲、すなわち外延が同じであれば適用条件もひとつに定まるということ、適用結果が同じなら適用条件──つまり内包も同じだと仮定する。そういう公理である。

わざわざこのような公理を置かなければならない理由は、有名な例があるからだ。例えば明けの明星、宵の明星というのがそれだ。ご存知のようにどちらもその外延は金星という一つの惑星である。外延が同一なのに「明け」と「宵」という二つの意味、二つの内包が与えられている。外延性の公理が置かれる理由のひとつは、このようなケースを排除するためであろう。

さて、ここからわかるのは同じ外延を与えられたときに異なる複数の内包が割り当てられる可能性があるということである。

では反対に、同じ内包を与えられた時に異なる外延が複数あるということはあり得るのか? ある、と答えたい。

ここで私は、例えば眠ってみる夢を念頭においている。夢でどのような経験──そもそもそれを「経験」と呼ぶべきかどうか?という問題もあるが──をして来たかにはもちろん個人差があるから、私が指摘する特徴を考えられない・認められないという人もいるかもしれないがそれはいったん脇に置かせてもらうとしよう。

眠ってみる夢でどんなことが起こるか。例えばそれは会ったことの無い人物に出会うことや、会うはずの無い人物に出会うことである。あるいは知り合いの誰それにあって話をした、と確信していたけれども、しかし朝起きてその姿形を思い出してみるとまったくの別人、あるいはやはり会ったこともない赤の他人だということもある。このような事態を私は内包が同じでも外延が全く異なる事例として解釈する。

だから、もし内包と外延の関係、あるいはどちらがどちらに依存しているのか?と問う人がいるならば私はそうではない、両者は独立の関係にあると答えることになるだろう。言い換えれば、物理的な状態が同じだからといって内包の何たるかが決まるとは限らないし、反対に内包が与えられても物理的状態──実装と呼んでもよかろう──が決まるとは限らないということである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?