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床屋は閉まっていた

※本記事は2010年07月26日に書かれた自己憐憫的な記事の転載です。

本日は17時に起きた。

四畳半の自室は散らかっていて暑い。明日は仕事とカウンセリングがある。カウンセリングの機関から来た封筒を確認すると、質問用紙が入っていて当日までに事前提出するようにと書いてあった。ビタミン剤とカルシウム錠を飲んだ。

髪が伸びていたので散髪に行きたかった。しかし、思い出してみると、知っている床屋は月曜日が定休日だったようにも思われる。しかしどうしても切りたかったので、とにかく出かけてみる。二軒ほど回ったがいずれも閉まっていた。月曜日の夜に開店している店はないのか。

四時間ほど京都市内を自転車で走ったけれども、床屋が無い。自宅から五条あたりまで走った。時間の無駄だった。留めてある自転車に二回ほどぶつかりそうになって急ブレーキをした。暑かった。

床屋を探して何時間も蒸し暑い中を当てもなく自転車を走らせるなんて愚かな行為だ。「しにたい」と思った。かえったらネット上の日記にこのバカな行為について書こうかな、と思った。

「しにたい」などと思っても、それをこうして日記に書けば余裕があるとみなされ、本当に死にたいことにはならないのだ。世の中には私よりもつらい境遇にいるひとがたくさんいるのだ。私よりも下の連中がいっぱいいるのだ。私は単なるなまけもので、ワガママなだけだ。ごくつぶしだ。引き受けることのできない約束をして平気で破って平気な顔をしている。他人からみれば我慢のならない人間だ。

だから私が「しにたい」なんて思っても死にたくはないのだ。そういうものだ。

なんで私のような人間が会社組織のなかに二年ちょっともいられたのか、今となってはよくわからない。三年も経たずにやめるのは「ミスマッチ」というらしいが、要は私が粗悪品を会社に売り付けたようなものだ。現場の方々にはさんざん迷惑をかけ、尻ぬぐいをさせた。悪かった。謝るぐらいなら自分でできるようになれ、ということなんだと思うのだが、思うだけ口先だけで何もできなかった。景気が悪くなって、管理職の方から何回か個人面談を受け、「どうする?」と聞かれた。

まさか向こうから「辞めろ」とは言われない。向こうだって言いたくないだろう。仕事だからしょうがなくやっているだけだと思った。でもとにかく何かやれ、何か約束しろ、成果を出せ、と言われていることは確かだった。どうしようもなかったかどうかはわからない。私よりつらい人は同じ会社の中にもたくさんいるようだった。「退職させて頂きます」と言った。自分の進退ぐらい自分で決めるべきだろう。私と同じ現場にいた或る先輩は「もうちょっとゴネればよかったのに……」と言った。無理だ。既に一年以上針のむしろに座って来た。居候だ。お荷物だ。

退職後は何もしなくなった。人に紹介してもらってアルバイトをしている。家族を含め、やっぱり或る種の人は「どうする?」と聞いてくる。まさか「死ね」とは誰も言わない。でも空気とやらを読んで死ぬべきなのかもしれない。でも死んでも迷惑だから失踪するべきなのかもしれない。死ぬのではなくて、犯罪を構成して刑務所に行くべきなのかもしれない。

こんなことを日記に書いたところで、やっぱり書いたことで余裕があるとみなされ「単に気分が沈んでいるだけなんだな〜」と思われるというものだ。世の中私より不幸な人間、かわいそうな人間などいくらでもいるではないか。自分のことを悪く言う人間は拗ねているだけだ。そういう人間は死ぬべきであって、声すら挙げられないかわいそうな人を保護すべきだろう。――ただ、別に私は何か保護されたいからこういう日記を書いているわけではないのだが。そうじゃなくて、自分が考えた恐らく他人にとってはどうでもいい思考を、「長い時間考えたから無駄ではない」と思いたいから書いているだけだと思う。認知的不協和だ。保護が欲しかったらそんなまわりくどいことはしない。お金ください、って言ってあたまをさげます。

そんなことを考えながら自転車に乗っていた。

自宅に帰った。22時頃だった。暑くて散らかった自分の部屋に行く気になれなかったので、共同スペースのソファにしばらく寝っ転がった。あらゆることの優先順位が滅茶苦茶だった。涙が出てきた。自分はばかでみじめなにんげんだとおもった。二時間ほど横たわって少し気分がよくなった。やるべきことは何ひとつとして片付いていなかった。

やるべきことを全部放り出してこういう記事を書いた。おしまい。

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