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未来のまち、日常が続くために

 思い返せば、大阪の地に降り立ったのは6年ぶりだった。大学時代の友人の結婚式に出たとき以来だ。
 大学生活を京都で過ごし関西の友達も多かった私は、就職して名古屋に住んでいた頃はときどき関西にも遊びに行くことがあった。しかし、東京に引っ越してからはそれもめっきりご無沙汰だ。

 そんな私が今回大阪を訪れたのは、下水道展の取材のためだ。

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 この夏に転職し、私は土木系雑誌の編集職となった。この雑誌で扱っている内容は「下水道を作るための、道路工事の技術」についてだ。

 大学は地理学専攻だったということもあり、道路やご当地マンホールなどへの関心は全くなかったわけではないが、それでも「下水道を作るための技術」なんていうものにこれまでの人生で関心を持ったことはなかった。
 ところが、いざ仕事で携わり始めてみるとさまざまなことが分かってきて面白みを感じるようにもなってきた。下水の水は薬剤ではなく微生物によって浄化されていること。その「浄化」のための設備にもいろいろなものがあること。そして、下水道を作るための工事にも「シールド工法」「推進工法」などのさまざまな名称があること、などなど……。

 昨今は豪雨も増えているが、そんな雨水による災害対策にも下水道は大きな役割を果たしているようだ。


 ところで下水道展の取材を終えたあとは、夏季休暇として2日間ほど休みを取得し、大学時代に住んでいた京都にも訪れてみた。いつもなら関西の友人に「よかったら会わない?」とこちらから声を掛けるところではあるが、さすがに今はコロナ禍のためにそれは自粛した。平日昼間にいくつか観光地をまわったほかは、大学のキャンパスや、学生時代に住んでいた家の付近にも訪れてみた。

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 自分で意外だったのは、あまり「うわぁ、懐かしい!」という気持ちが湧いてこなかったことだ。市バスで西大路通を北上し、西院、円町、北野白梅町……とかつての生活圏内に接近するたびに懐かしさに胸が熱くなってはきたものの、いざ家の付近を散策したときは「あぁ、そういえばこんなところ住んでたね」と、極めて淡々とした感情しか湧いてこなかった。家そのものにはあまりひとを呼んだことがなかったので、家よりも街のほうに無意識の思い入れが強かったのかもしれない。

 転勤族育ちの私は、長野で生まれ、東久留米(※東京西部)、岡山、代々木、長崎、佐賀、と引っ越し、京都の大学に進んだ。その後は神楽坂、名古屋、と住み、現在は東京都港区に住んでいる。ただ、この家にもずっといれるわけではない。次に引っ越すのはいつ、どんなときなんだろうか。悲しいことが起こったときか、嬉しいことが起こったときのどちらかにはなるだろう。

 全国あちこちに住んだ私だが、東京の暮らしはどの街に住んだときも楽しかった。図書館が不便なことと美術館が混むことと水の塩素が強すぎることと家賃が高いことと満員電車が発生することと首都型直下地震の危険があることは不満だけれど(結構あるな)、それ以外は概ね満足している。
 いまの職場は住宅街の近くにある。小学生が乗り降りするスクールバスや、お子さんを連れた親世代の人ともたびたびすれ違う。このあたりは子育てしやすいのかもしれないな、私も将来住むのを検討してもいいかもな、と思うけれど、東京、いや日本では「子育てしやすさ」に関してはソフト面でもハード面でもまだまだ課題がありそうだということも同時に感じる。

 ちなみに、いまの私の実家があるのは佐賀県唐津市になる。
 昨今は九州は豪雨も多く、それゆえの被害も起こっているようだ。

 将来、どんなまちでどういう暮らしをしたいか・することになるのかわからない。別に夢物語みたいな生活をしたいとは思わない。今「当たり前」のように享受しているものが、これからも当たり前に存在する場所であってくれたらいい。
 子育て支援など、ソフト面に関しては「改善されたほうが良い」と思えることが多そうではあるが、ハード面に関しては「今あるものがより強化されてほしい。今まで通りの日常が続いてほしい」という気持ちのほうが強い。

 豪雨の原因とされている、地球温暖化を食い止めることは難しいかもしれない。けれど、雨水処理の設備などのインフラを整え、豪雨が「災害」とならないためにできることはまだあるはずだ。
 首都型直下地震や南海トラフ巨大地震に備え、地震に強い上下水道の設備も間に合ってほしい。
 最近はそんなことを考えている。

#暮らしたい未来のまち

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