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子なし人間の後悔

私は40代も終盤となり、我が子は大学生となった。
周囲の知人たちも、等しく年をとり、
独身・子なしの人間たちがざわめき始めた。
「やっぱり子供がいれば良かった」

やっと、気づいたか。
20代・30代のころ、彼ら・彼女らは言った。

⭐️自分で稼いだ金は自分のために使いたい
⭐️今は子供は不要(必要になればその時考えるが、今は自分のために時間を使いたい)
⭐️夫婦で充実した日々を過ごしたい
⭐️ペットがいればいい。ペットは家族同然

すると、どうだ。
50の坂が見え始めた時、女性陣はとうとう絶対に子供が産めない年齢となった。

そして今頃になって、後悔の声が聞こえ始めた。
それは、体を掻きむしるような苦悶の叫びと言ってもいい。


自身は中年となり、体力は衰え、目も反射神経も悪くなり、車の運転も危なくなり、持病も抱え出す。
そこへ親の介護、家の老朽化…それらは年々進行する事はあれど改善される事はない。

ペットも老い、抜け毛、よだれ、おもらし、病気の末に医療費を使わせながら世を去る。

「自分のために」使った金で買った、うず高く積み上げられたガンプラ。
流行遅れになったカバンや服。
それらも共に枯れていくだけ。

最期は遺品整理屋がガサっと持って帰り、売れそうなものはリサイクルショップに並ぶ…
多少はあった貯えも、引き取り手はいない。

人生は無限だと思っていた若き日々。でもそうじゃなかったんだ。
日没のように人生が暮れていく。

それでも!
子供がいれば、その子たちの就職、結婚、孫の誕生という
明るい未来が(その通りにあるかどうかはともかく)期待でき、社会の見え方も変わる。
未来を考えることが出来る。
明日が、来年が明るい日になるかもしれないと思いながら生きられる。

親も自分も冬の様に枯れていくが、
子供は春から夏の様に輝きを「今から」増していくんだ。
それは未来への希望なんだ。

自分の命のバトンを持った人物がこの世にいる。
これだけで、何者にも変え難い素晴らしさがあるんだ。

なあ、遅かったよな、気づくのが。
アリとキリギリスの寓話じゃないけど、遊び呆けた結果が「暗いジリ貧の棺桶行き鈍行列車」だ。
そのレールが変わることは、無い。
列車はバックしないんだよ。

政府やマスコミは、少子化対策を色々言うが、根本的な「生き物の幸せ」として、
⭐️子供がどれほど素晴らしい存在なのか
⭐️有限である自分の命を継いでくれる存在がどれほど尊いのか

そこをよく、啓蒙すべきだと思う。






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