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企業でも個人でもNo.1を目指す。Wunderbar第1号社員が語るスタートアップへ転職した理由

今回は、株式会社Wunderbar(ヴンダーバー)の第1号社員であるGM(ゼネラルマネージャー)の足立を紹介します。

マニラ留学を機にフィリピンでフリーランスとなり、自身の成長を目指して「クリエイティブの道」を歩み続けてきた足立。20代前半でデザイン会社のボードメンバーを経験し一度は独立も考えた彼が、なぜスタートアップであるWunderbarに入社したのでしょうか?

今回は足立に、フィリピンでのフリーランス生活やCD(クリエイティブディレクター)を目指した理由、そしてWunderbar入社のきっかけなどを語ってもらいました。

足立尚優  / GM
フィリピンと日本のハーフ。愛知県の大学にスポーツ推薦で入学後、1年で中退し英語力ゼロの状態で、フィリピン・マニラの大学へ編入。そこから6年間マニラで過ごし、ガイドブック制作、動画制作、海外事業の立ち上げ、大手カジノのSNSプロモーション、日本語教師、通訳・翻訳などあらゆる仕事を経験。コロナの影響で日本へ帰国後、都内のデザイン会社にディレクターとして入社し、個人ブランドから大手企業のWEBサイト制作・アプリ開発、CI/VI領域のディレクション業務に従事。最終的にはボードメンバーとして年間予算の設計から、採用計画の設計など会社の上流戦略まで担当。2023年1月に社員1号目として、Wunderbarへジョイン。

自身のルーツがあるフィリピンでフリーランスに

ー マニラの大学へ進学されていますが、その経緯を教えてください。

マニラの大学へ進学した一番の理由は、英語を習得したかったからです。高校生の頃にドラマの登場人物が英語を話すシーンを見て、シンプルに「かっこいい!」と思って。一旦は日本の大学へ進学したものの、勉強する時間が持てずTOEICは350点というレベルでした。今の環境では英語が話せるようにはならないと、日本の大学を中退しフィリピン留学を決意しました。

留学先にマニラを選んだのは、フィリピン人の母のアドバイスがあったからです。とはいえ、フィリピンに長期滞在するのは十数年ぶり。日本とは文化も宗教も異なる環境で、カルチャーショックに悩むこともありました。

ただ、英語が喋れるようになるまで絶対日本には帰らないと決めて現地で過ごしていたら、いつの間にかフィリピンの人の考え方や価値観を認められるようになったんです。多様性を受け入れる経験ができたことは、英語の習得以上に意味があったと思います。

ー フィリピン滞在中は、どのような働き方をされたのでしょうか?

フィリピンでフリーランスとして活動しました。きっかけは、フィリピンの情報発信のために個人で始めたYouTubeでした。その動画が企業の目に留まり、業務委託で留学エージェント事業や企業のSNSプロモーションなどにも携わるようになったんです。

動画編集やデザインなど仕事に必要なスキルは、全て独学で身につけましたね。顧客対応から広告クリエイティブ制作まで広く経験したことで、自分の興味がある分野や得意なことの輪郭がはっきりしてきました。

フィリピンでたくさんの挑戦の機会をいただき、複数の仕事に携わるうちに、自分はクリエイティブな仕事に興味があるんだなと気づいたんですよね。

「かっこいいモノを創りたい」という思いからデザイン会社へ

ー 約6年間のフィリピンでの生活を経て、日本に帰国されたのですよね。

コロナの影響でフィリピンへの出入国が制限されたため、当時メインで請け負っていた留学プロモーションの仕事がゼロになりました。

やむを得ず一旦帰国したものの、その後のキャリアはかなり悩みましたね。しばらく考えた上で出てきた答えが、「誰かのためになる、かっこいいモノを一から創りたい」でした。そこで、Webを中心に映像や空間をデザインする会社に、ディレクターとして入社しました。

ー デザイン会社では、どのようなスキルが身に付きましたか?

Webサイトやアプリの制作に必要な要件定義から、CI・VI領域の制作ディレクションに至るまで、CDに必要なスキルを身に付けました。最初はワイヤーフレーム作成やスケジュール管理が中心でしたが、フィリピンで経験を積んでいたこともあり、気がつくと1人で案件を担当するようになっていましたね。

入社半年後には、PM業務も任されるようになりました。30〜40の案件を同時進行で受け持っていたため、マルチタスクを効率的にまわす力がついたと思います。

最終的にはボードメンバーに昇格し、会社の年間予算や採用計画の策定にも関わりました。プロとして制作のスキルを得ただけでなく、企業経営に必要な上流戦略づくりにも携わることができたのが、一番大きいですね。

「憧れの人」の一言で飛び込んだ、スタートアップの道

ー CDとして順調にキャリアを築く中で、Wunderbarに入社した理由を教えてください。

正直に言うと、デザイン会社を退職した後は独立するつもりでした。これまでがむしゃらに働いてきたので、これからは自分の成長よりも「何かを生み出したい」という思いが強くて。

そんな時、CPOの駿さん(伊藤)からたまたま連絡があったんです。駿さんとはフィリピン時代から交流があり、私にとっては何歩も先を行く憧れの人です。CDを目指したのも、「なお君はディレクターが向いてるよ」という駿さんの一言がきっかけでした。

具体的に話を聞く中で自分の視座の低さを感じ、残りの20代スタートアップでもう一度チャレンジしたいと思うようになりました。何より、ずっと憧れていた人と一緒に働けるというモチベーションが強かったですね。

ー その他に、Wunderbar入社の決め手となったことはありますか?

Wunderbarの第1号社員として、創業メンバーに近い距離で働けることですね。与えられた仕事を指示通りこなすのではなく、ある程度裁量があるポジションでジョインできたのも決め手の一つでした。

当時のWunderbarではディレクションやクリエイティブに関するポジションは求められていませんでした。けれど、CEOの長尾さんが、私が思いを綴ったnoteを読んで、「CDを目指したらいいじゃん!」と背中を押してくれたんです。

個人の意思を尊重して、目指したい道を一緒に描いてくれる風土にも惹かれましたね。

個性豊かなメンバーと共に、企業としても個人としてもNo.1を目指す

ー 第1号社員の足立さんには、Wunderbarのボードメンバーはどう映っていますか?

「プライベートでは友達にならないような人達が集まって、家族みたいに仕事をしている」ですかね(笑)。

CTOのやなさん(柳澤)と初めて会ったのは、駿さんとの飲み会でした。私の中では、CTOといえば黙々とプログラミングをする人でしたが、そのイメージが一瞬で崩れました。コミュニケーションを大切にする、ディレクター的な素質を持つ方だと感じています。

COOのけいてぃさん(伊藤)は、鋭い目つきや単刀直入に話すところから、最初はめちゃめちゃ怖いな……という印象しか無かったですね(笑)。今は業務で一番関わることが多く、ボードメンバーの中でも特に親しくしています。CCOのたまさん(溜水)は感性溢れる人です。人を楽しませながらも、冷静に物事を俯瞰しているんですよね。

性格がバラバラで個性豊かなメンバーを、熱い思いを持つ長尾さんが束ねています。それぞれ違う強みを発揮しながらも、非常にバランスが取れている組織だと感じますね。

ー Wunderbarに入社して良かったと感じることを教えてください。

20代からでも上を目指せるところです。WunderbarはIP領域の中でも存在感を増しているので、これからIP領域を牽引する企業として本当にNo.1を目指せると確信しています。

長尾さんが私のやりたいことを尊重してくれたように、Wunderbarでは企業の成長だけではなく個の成長を大切にしています。「自らを超越し、世界を沸かせ」というミッションのもと、企業としても個人としても上を目指せる環境がここにはあると思います。



今回はGMの足立に、クリエイティブを軸に切り開いてきたキャリアについて、そしてWunderbarに入社した理由を語ってもらいました。

Wunderbar第1号社員としてジョインし、ボードメンバーに触発されながら、さらに高みを目指しています。

次回は、CDからGMにキャリアをシフトさせ、成長を続ける足立に現在の仕事への思いを語ってもらいます。

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