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僕らの季節

2月28日。
私の住む地域は暖かかい気温で、ダウンコートを着たことを後悔した。
もうすぐ春が来るのかなと待ち望んだ季節の到来を感じながら街を歩く。
この日はわたしが人生の新たな一歩を踏み出す日でもあった。
相応しい天気と気温、いい日和だと感じていた。

その日の帰り道。通知欄には挨拶と彼の名前。嫌な予感がした。
悪いお知らせをする時に決まって並ぶ二文で構成されたタイトルがそこにはあった。
通知を開くと、私の予感が事実へ変わったことを知らせる手書きの手紙が1枚。
ああ、やっぱり。
手紙を読んだ後のわたしはいたく冷静だった。
去年の秋と冬に記事が出た。一つは熱愛、一つは彼以外が事務所に残るという選択をしたということ。この時すでに彼が去るかもしれないと予感していた。
そうだよね。そうだと思ってた。何も予想を裏切らない結果だ。

手紙に残された最後の文章を噛み締める。
ああ、彼が私たちファンの名前を呼ぶことはもう二度とないのか。

これほど暖かい気温を恨んだ日はない。まだ、寒ければよかった。
寒ければ、悲しみも寂しさも紛れるかもしれないのに。

家に帰って、彼が作った曲のうち好きな3曲を聴いた。
私は彼が作るグループ曲が好きだった。グループの色がちゃんと彼の作った曲に溶け込んでいた。彼が綴る詞は抒情的で詩的だった。ちゃんと曲の終わりには結末があった。だから好きだった。

最初に世に公開された自作曲は、秋と冬の狭間、冷たい風が吹く季節に発売されたアルバムの収録曲だった。その時期にぴったりな明るいけど切ない曲だった。
秋が訪れると一度は必ず聞く私の中の定番になった。

次は夏のシングルだった。個人的に夏の夜明けに聴きたい。
メンバーの1人と友人の行動が世間から集中攻撃にあって程なく公開になった曲だった。出来事が原因で離れていったファンも少なからずいた。わたしは最悪の結末に怯えていた。
なので、離れていくのならばそうしろ、と言いつつも引き止めたそうな描写に胸を痛めた。

3曲目は春だった。僕らの出会った特別な季節、春。
未来があるのかないのか不安だった私は歌詞が沁みて仕方がなかった。
グループが終わった時にはこの曲を聴いて泣くんだろうな、と感じていた。
実際にわんわん泣いた。グループは終わっていないけれど、私が惚れた6人ではなくなる。もう、思い出になってしまうのだ。

こうやって思い返していると不思議なもので、彼が作った曲はいつも私が辛かったときの思い出とリンクする。あの秋も、あの夏も、あの春も簡単ではなかった。彼が綴った歌詞に縋ったことがあるのも事実だ。

いわゆる推しではなかったけれど、実際に間近で見た時の衝撃も、ハイタッチしたことも、不在のメインボーカルパートを堂々と歌い上げる姿も、音響トラブルを物ともしないラップも、すべて忘れがたい。
幕張という大きな会場に響き渡る歌声を聴きながら、彼は舞台の上でこそ輝く人だと強く感じた。

そんな彼は、私が愛する場所を去った。

3月1日。雨。
窓の外では雨の雫が地を打つ。雨音を聞きながら、「春の雨が降った後は暖かくなる」といつの日かの祖母の言葉を思い出していた。
きっと明日からは少しずつ暖かくなるのだろう。

彼らと出会って7回目。君だけがいない僕らの季節がやってくる。


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