仕事に行けなくて3日目。

ここのところ仕事に行けない日が多くなってきている。
原因はよくわからない。
正体不明の波に飲み込まれ、海の底で身動きがとれなくなっている、それが今の私。
これでもクビにならない今の自分の待遇には、大いに感謝すべきなのだろう。

それでも明日は行かねば。
半年とおかず再度休職という事態は避けたいし、この繁忙期に長期間休むという事態はなおさら避けたい。
そんなことを考えて、今日は何とか散歩に出かけた。

散歩に出るとき、ヘッドホンを持っていくかどうか迷ったが、やめた。
路では梅はもう散っていたが、鶯は鳴いていた。
ホー、ケキョケキョケキョキョキョ、となんだかうまくいっていない様子。
本番に控えて鳴く練習をしているのだろうか。
ほかにもたくさんの鳥の声がする。
シジュウカラの鳴き声は少し覚えたからわかる。街はシジュウカラで溢れている。
鳴き声だけでなく、カサカサッ、とすばしっこく木の葉を揺する音もそこかしこに。
これはおそらくカナヘビか何かだろう。

そんなことを考えながら散歩していると、片道20分の道のりもあっという間である。

行先の公園には大きな池があり、父に倣って野鳥観測をするようになったが、これもわりと癒しになる。
この公園に大体いるのはヒドリガモ、オナガガモ、サギ(サギの種類はよくわからない)、カワウだが、ときどきオオバンやバン、カワセミがいたりして、レア鳥ゲット!と言いたくなる。

今日は残念ながらレア鳥には出会えなかったが、セロトニン生成と思い芝生に座る。
せっかくなので近くのコーヒーショップでコーヒーを飲んでみたり。
向田邦子のエッセイを読んでみたり。
私はエッセイというとまだ大して読んだことはなく、茨木のり子と次いで2冊目くらいなのだが、1970年代に壮年を迎える人の昔を語るその記憶力の良さ、描写の鮮やかさには毎度驚かされる。
それは大体戦時中だったり、終戦直後だったりするので、出来事のインパクトも強いし、当時と今との環境の違いもかなり大きい。
何度も何度も思い返してきた結果なのだろうな、と思ったりもする。
現代人に同じ切れ味のエッセイが書けるかというと、経験してきたものが違いすぎて書けないんではないかとすら感じる。

ただ、ずっと本を読めるかというとそうでもなく、集中力はすぐに切れて遠くへ行ってしまう。
コーヒーショップの軒先で焼いていたハンバーガーを食べたい衝動に駆られながら、帰路についた。
万歩計を見ると7,000歩突破。
ここ最近の私にしてはかなり動いたと言えるだろう。

昨日もおとといも、さらにいえばその数日前からたぶん家をほとんど出ていない。
何もやる気になれず、やることもないので、ひたすら寝ていた。
それが続いてしまうと、たぶんやばい。
続いてしまうからやばいのか、その状態がすでにSOSのサインなのかは分からない。

わからない。
なぜこうなってしまったのか。
これでは1年前と状況は変わらなくなる。
何とかここで踏ん張らなければ。
といったところで、そもそも無気力への抵抗手段を持っているのか?といわれると、何もできることは思いつかない。

散歩に行ければ何か変わるだろうかと思ったが、収穫は便秘解消くらいで、体の倦怠感はいまだにある。
これでスッキリ、明日は仕事に行けるだろう!とは、全く言えない状態だ。

なぜ行けないのか。
何度も両親にも言われ、悪気はないと分かってはいても、そのたびに責められている気分になった。
そんなの分かったらこんな苦労していない。

こんな思いするくらいなら、いっそ休職したほうがいいのかもしれない。
ただ、周りへの迷惑や自分の状況を考えると、そう踏み切れない自分もいる。
こんな未来、見たくなかったな。
まだまだ私は自分との付き合い方を見つけられていない。

(緑青)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?