編み物やってみたい/映画『YARN 人生を彩る糸』感想
映画『YARN 人生を彩る糸』を観ました。
4組のヤーンアーティストの活動を追うドキュメンタリーです。
ティナとオレクは、アーティストであろうとする意識が強くあるという印象でした。ティナは女性の巧みな手仕事が家の中に埋もれて忘れられてゆくことを嘆き、街をカラフルなニットで彩っていきます。ときにはそれが、政治批判の許されぬ環境で無言の自己表現として機能します。
作品の印象としては、オレクのニットが強く残りました。全身タイツのようにニットをまとったパフォーマーが街に繰り出す映像は衝撃的です。一方で、ニット作品をキャンバスに打ち付ける展示を行ったのもオレクです。ニットは自分の絵の具であり、ニットのおかげで絵筆を持たない私もアートの世界に入れてもらえる、という意味のことを言っていました。そして、自分の作品はアートであるから、手芸のイベントには出ないとも。
アートが、昔と比べてその枠組みや対象を広げているということは、私も知っています。近代以降、アートの範囲外にあった様々な物から、価値を見出されてアートとなったものがたくさんあります。手芸のような手仕事に「アート」を見出そうとする動きも、近年珍しくないことなのでしょう。
ですが、「アート」として認めてもらうことに何の価値があるのだろう、とも思います。編み物にかかわらず、人の創造力が生む造形の営みは、価値あるものです。「アート」の側に発見されたり、「アート」という土俵に上がったりせずとも、それは変わらないと思うのです。家に閉じ込められてきた女性の手仕事、「アート」とみなされなかった手芸が、「アート」なんかとは関係のないところでその価値を認められ、その営みを楽しむことができたらいいのではないでしょうか。もちろん、「アート」という土俵に上がって戦いたいという人がいるならば、その門戸は広くあるべきですが、「アート」で戦ったからと言ってなんなのかとも思うのです。綺麗ごとかもしれません。それが必要な段階なのかもしれません。けれど、そんなことをもやもやと考えてしまいました。
印象に残ったのは、堀口紀子さんの作品です。
ネットの色彩とそれが子供たちによって有機的に動いていく映像はとても美しかったです。かつ、作品がアートであること以上に遊具として存在している柔軟さが、素敵だと思いました。
都内では、昭和記念公園に堀口さんのネット遊具があるそうです。今度見に行こうかなと思っています。さすがに大人は遊べないのでしょうが、叶うなら遊んでみたかったです。
編み物、やってみたいです!
(画像はGirl Knitting in Savognin ジョヴァンニ・セガンティーニ 1888)
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