うなじに接吻
真っ暗な寝室にそっと入り、音がしないようにドアを閉めた。
暗い中を壁伝いに手探りでゆっくり進み自分のベッドに辿り着くと、そっと掛け布団を持ち上げその隙間に滑り込む。
横たわり、ほぅ、と息を深く吐き出した時、くっ付けている隣のベッドから低い小さな声が聞こえた。
「……今何時」
深夜2時前だったが、あまり遅いと文句を言うのでサバを読む。
「1時過ぎ」
「夜更かししてないで早く寝なよ」
「うん」
寝ようとしたらまた声を掛けられた。
「寝入りばなに部屋に入られると目が覚めるから」
普段ならテレビを付け電気が煌々と付いていても平気で寝る人が、起こしたのは確かだろうが、最上級の気遣いをした私に八つ当たりかと思案してすぐに、今日仕事で何かあったのか不機嫌な顔で家に帰って来た事を思い出した。
よくある事だったし理由を特に言う事も無く、夕食後には機嫌が直っていたからすっかり忘れていたのだが、また機嫌が悪くなったらしい。
そしてその理由もすぐに思い至った。
入浴後に彼を放置して私は一人で読書を楽しんでいた。
彼は先に寝室に行ったのだが、恐らく寝る前に今日一日を振り返り不機嫌になった原因を思い出して不機嫌になり、さらに私が夜更かしして楽しんでいる姿も思い出し、相まって、お気楽そうな私への八つ当たりになったのだろう。
彼は人は良いのだが楽しく生きる事に不器用だ。
要領よく楽しく生きている様に見えるらしい私に対して、そう見えるだけでそんな事は全然ないのだけれど、嫉み妬み僻みを驚く程はっきりと見せる。
隠さないから扱いは楽なんだけど。
十分構ったつもりだったんだけど足りなかったか。
イメージは大型犬だ。
十分にスキンシップして構えばご機嫌になる。
……まぁ、しょうがないか。
よし。
そっと自分の布団を出ると、素早く無言で彼の布団の中に無理やり入り込み入浴後の夜更かしで冷えた両足を彼の足の間に入れくっ付けて一本調子の低い声で言った。
「ぬくぬくを分けろ」
「ちょ、何?!
冷たいって、くっつけるな、入ってくんな、自分のベッドに戻れって!」
慌てて押し戻そうとするが両腕ごと抱きしめて拘束し、同じトーンで繰り返す。
「ぬくぬくを分けろ」
「ぬくぬくって何?!離せって」
もちろん離しはしない。
逆に拘束の力を強め、さらに繰り返す。
「大人しく諦めてぬくぬくを分けろ」
「……だから、ぬくぬくって何……ほんと意味分かんないんだけど……」
そう言いながらも、お腹がぷるぷる震えていて笑うのを堪えているのが分かる。
“ぬくぬく”の音の響きがお気に召したらしい。
諦めたのか体の力を抜いたので私も拘束を解く。
彼の布団の中で居心地のいい場所を探して互いにもそもそと動き、2匹の猫のように複雑に絡み合ながら隙間なく寄り添い落ち着いた。
彼の枕に二人で頭を乗せ、背後から彼に小さな声を掛ける。
「遅いんだからもう寝なさい」
「……起こした本人が言うな」
言い返してきたので反撃に出る。
片腕を布団から出すと、彼の口を手で塞ぎ喋れないようにしてから言う。
「うるさい黙れ」
喋ろうとするので手に力を入れると、諦めたのか黙った。
顔から手を離し布団の中に戻すと彼の手を探して繋ぎ、その腕で背後から彼を抱きしめて首元に顔を埋めた。
「おやすみ」
首元でそう囁くと
「…おやすみ」
もう眠そうな声だった。
しばらく経つと二人の体温が同じになり、彼と私の境目が曖昧になっていく。
彼の体温に包まれて冷えていた両足もすっかり温かくなっていた。
穏やかな寝息が聞こえ始める。
首元に顔を埋めたまま深く息を吸う。
彼の匂いが心に満ちる。
うなじに唇で触れ彼の体温を味わう。
唇がうなじと同じ温かさになる。
“ぐっすり寝て、嫌な事全部忘れてね。
明日は、ささやかでいいから、あなたに良い事がありますように”
この世で一番大切な人に、想いを込めて接吻を贈る。
唇をうなじに触れたまま
彼の体温と溶け合いひとつになって
りんかくがとけていく
アンジーさん が提供された “クリムトの接吻” の画像を使わせて頂きました。ありがとうございます。
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