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牛深に帰るのは、月夜と決めていた

夏休みの朝、5時台に家の電話が鳴る。母が飛び起きて、ばたばたと受話器を取る。奥でガガガと船の機械音と共に荒っぽい父の声が漏れ聞こえる。母が到着時間と何箱かを確認する。嫌な予感がしたので、瞼をきつく閉じ、最初からそうだったように、寝たふりをする。母が私と妹を揺すり起こす。諦めて起き上がり、「大漁?」と聞く。聞かなくてもわかっている。大漁なのだ。朝から最悪の気分だった。

汚れてもいい、というか、すでに魚の染みができている服に着替えて、バケツと子供用の軍手を両手に持ち、長靴を履いて家を出る。私の家は漁師さん向けにつくられた団地の4階だった。漁協の荷捌き所まであるいてすぐの場所にある。夏でも朝は冷える。扉を開けた瞬間に、冷気が吹き込み目がさめる。
漁協までの道のりを、できるだけゆっくり、時間をかけて歩く。道端で石や花を見つけては立ち止まった。とにかく家から漁協までが近い。

漁協に着くと、すでに何艘か漁船が港に船をつけて、魚の選別がはじまっていた。フォークリフトがぬるりと、ベンコ箱や選別台を運ぶ。リフトに近づかないよう気をつけて歩く。後ろを歩くと大人に怒鳴られる。
選別の作業を手伝ってくれるおばちゃんが数名、すでに父の船が着く場所に待機し、おしゃべりをしていた。水と魚の鱗でぐちゃぐちゃになったコンクリートの地面を見下ろして、長靴の汚れを指で触る。海に近づきすぎても怒られるのでちょうどいい場所を見つけてしゃがみ込む。遠くで呪文のようなセリのおじさんたちの声が聞こえる。語尾だけが強く聞こえる声は、耳をすましても何を言っているのかはわからない。

「あよ〜はるかちゃんのお父さんの船は、あかねしといね」
と、おばさんが父の船を指差す。「あかね」とは牛深弁で大漁のこと。とても残念な気持ちで、父親の船「日新丸」を遠くに見つける。海に船が沈み込んで、ゆったりとこちらに近づく。魚がたくさん積んである船は、重さで海に沈み込むのだ。
陸に近づくと、母が急いで駆け寄り、太い縄をもって船に投げる。投げた場所が悪かったのか、父が不機嫌に怒鳴る。大漁でもそうでなくても、父は大体機嫌が悪くすぐに怒鳴る。

選別台の準備がすむと、船のイケスに大きな網を刺して、魚を網の中に入れる。網は大人が入るくらい大きい。網にたっぷり入った魚と氷が、ぼたぼたと海水をしたたらせながら選別台に落とされる。ダダダダダと、選別台に魚が注ぎ込まれる。私は身長が低いので、選別台にビールのケースをつけて、上に登って魚を待つ。目の前の真っ白な選別台の上を、横から流れてきた魚が埋め尽くす。台の中央に箱が置かれているので、指定された魚を決められた箱に投げ込んでいく。
長い、長い、魚の選別がはじまった。

夏は棒受け網漁の季節。
棒受け網は様々な魚種が網に入るので、大人数での選別の作業が必要だった。だから子供の私も手伝わされた。基本的にはイワシをえり分ける。イワシは、カタクチイワシ・ウルメイワシ・マイワシの3種類あり、それぞれに見た目が違う。カタクチイワシは、濃紺の線が入っていて小さい。ウルメイワシは他のイワシよりもたっぷりと大きく、薄く細いブルーのラインと目が大きい魚だ。マイワシはどうだったか、確か点が入っていた気がする。
普段の食卓には、ほとんどでないこの魚をなんで選り分けるのか。

朝から作業がはじまり、ひどい時は4時間以上にもおよぶ。真っ白だったおろしたての軍手が、魚の鱗や粘液・海水とまじってねずみ色に染まる。鮮度を保つためにイケスの魚は氷水に浸かっているので、とにかく冷たい。軍手はじっとりと重い。そして生臭い。手をぎゅっと握ると、ぼたぼたと魚の汁が滴る。手もふやける。その感触がたまらなく嫌いだった。どうしても不快感を我慢できず、軍手を新品に変えることもあった。早く家に帰ってお風呂に入りたかった。
時折、「あとどれくらい?」「何時が目標?」「あと何箱?」「あと何%?」と父に叫んで確認する。同じ聞き方をすると怒鳴られるので、自分なりに聞き方を変える。
そんな工夫も虚しく、最後は「わいわ(お前は)、嫌なら帰れ!!」とキレられる。帰ろうとする素振りでもみせると、後でこっぴどく叱られるので、目に涙を溜め、唇を噛みながらとにかく鰯を選りわける。なんで私の家は漁師で、こんな手伝いしなきゃいけないのか。ゆっくり寝れる友達と自分を比べて、悔しくてたまらなかった。

妹は一度、父と言い争ったあと、すっと帰っていったことがある。その後ろ姿が、なんだかかっこよかったので憶えている。私にはそんな度胸はなかったから、その場にいる大人たちにちょっかいをかけながらやり過ごした。天附の魚屋のアップさんは、よくジュースを買いに自販機まで連れ出してくれた。リンゴジュースを買ってくれるから、アップさん。恵比寿さんみたいな顔をしている。ほっぺの肉が、笑うと盛り上がる。「はるか、来たとや」とよく可愛がってくれた。


高校生になって、私は牛深を出て女子寮に入った。夏休みは選別を手伝わされるのが嫌なので、月夜(満月の夜)の前後を狙って帰省した。月が大きいと、魚に仕掛けがばれる。だから漁師さんたちは、満月の前後の夜は漁に出ない。

今では父が漁にでなくなったので、もう2度と手伝わなくてよくなった。いつが最後だったのかわからない。
「最後とわかっていたら、もう一度手伝ってもいいかもな。」とは、やっぱり、思わない。大人になっても手伝いたくはない。

そんな風に思うけれど、私は朝の漁協が牛深の景色で一番好きだ。
船の機械音と波の音、重く響く業務連絡の放送。冷え切った空気と、嫌な感じはしない魚の匂い。海水でびしゃびしゃのコンクリート。黙々と魚を選るおばさんたち。
大人になったから、海に近づいて下を覗きこんでも、フォークリフトに近づいても、もう誰にも何も言われない。
独特なイントネーションのセリの声が聞こえる。いまでは、少しだけ何を言ってるかわかるようになった。父の怒鳴り声は、もう聞こえない。

去年は30年ぶりに「イワシが帰ってきた」そうだ。イワシのとれる周期は大体30年らしい。

私はここが、この先ずっと、牛深の朝の時間で、いちばん賑やかな場所であってほしいなと思う。



写真:山口亜希子(https://yamaguchiakiko.jp/

(いいね、めっちゃうれしいのでぜひに‥)

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