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SS 猫が見ている

白い毛並みの私はペロペロと体をなめる。「またどら息子が吉原通いよ」女中がぶつぶつと独り言。大店の息子は無駄金を使って勘当寸前だ。私は横目で見ながら前足で顔を洗う。どうせ人なんて五十年も生きてないのだから好きにさせればいいのにと思う。

「しろや」猫なで声で私をなでる息子。まぁ触らせてあげてもいいわよ。こいつは無能と言うけど私は見ている。仕事熱心だ。店の帳簿もよく調べてるし店の品も丁寧に扱う。ただその努力は誰にも見せてない。吉原通いも、取引先相手の素性を調べる目的だ。酒を飲ませて相手を調べる。無駄ではない。

「勘当だ」店の主人は放蕩息子を追い出した。私は気まぐれで彼の場所を探すと水茶屋の娘の家に転がりこんでいた。「にゃーん」私が鳴くと「おお しろか懐かしいな」私をいつものようになでる。彼は自分の目利きで商売を始める。しばらくすると裏店を持って商売が繁盛した。水茶屋の娘と夫婦になると立派な主人として働いている。

「立派になったな」見ると息子の父親が店先に来ている。再会する父と息子は涙を流して手を取り合う。家が傾いたと言う。一緒に仕事をしてくれと頼んだ。息子は喜んだ。

「あなた あの猫気持ち悪い 人間みたい」嫁は私を嫌っていた。息子は私を追い出してしまう。彼はもう立派な商人(あきんど)だ、猫ごとき見向きもしない。私は「にゃーん」と鳴いて出て行く。

私が出て行くと家は傾いて没落したみたい。私は数百年は生きる化け猫だ。居ればその家は繁盛する。もちろん本人の努力は必要だが運を私はさずける。どんな優れた人でも、運が無ければ終わりだ。体が悪くなる、取引先がつぶれる、悪い奴に騙される。そんな状態では商売は出来ない。

私は気楽に歩いていると、町外れにむしろの上に座る乞食がいる。椀をもって通行人に喜捨を求める。私は近づき「にゃーん」と鳴くと、あの放蕩息子だ。「しろ? 似てるけど違うな お前にやるものは無いよ」悲しそうな顔をする。私は横目で彼を見るとゆっくりと離れた。

終わり

AIで画像を作るサイトを利用しました。

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