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道草の家のWSマガジン - 2023年5月号

麻績日記 「おとずれ」 - なつめ

「わが心 なぐさめかねつ更級や をばすて山に照る月を見て」(よみびと知らず、『古今和歌集』 )

私にとって傷ついた心を慰めるのは歌である。
そう気が付いたのはウクレレで弾き語りができるようになってからだ。ウクレレで歌うことは、その歌の歌詞が私の心にすっと入って来て、そっと寄り添ってくれるようだ。そのことに気が付いてから以前よりもさらに歌をよく聴き、歌うことも増えた。主に自分と息子を慰めるために歌っている。たまに友人の前で歌い、ウクレレの音と声が合っていると言われたこともあるが、どうも歌声がずれることがあり、ウクレレという楽器のどことなくとぼけた感じが合っていると言われたこともある。私は心を込めて歌っているのだが、どうもとぼけた感じが出てしまうようだ。ウクレレで歌う私を、息子が似顔絵で書くと、いつも目が「33」になっている。
昔の人は歌を和歌で詠み、心を慰めてきたようだが、今の私にはウクレレ弾き語りで歌を歌うことが心の慰めとなっている。今も昔も歌が人の心を慰める。そのようなことが書いてあった『古今和歌集』の序文を改めて確認したくなり、高校の古典の教科書を取り出した。大人の年齢となってから人生の折り返し地点ぐらいにいる私はここ数年のひどく傷つく経験が度重なったせいか、やっとこの序文の意味が通じる心を得たようだ。改めて読み返してみると、今の心境に近いものが書いてあり、しみじみと読んでいた。人生の折り返し地点あたりで、一番身近な存在であった夫によって、年々傷ついてしまった私にとって、そのとき一番そばでよく慰めてくれたのは、古くからの心通じる友人でもなく、両親や息子でもなく、いつでも気軽に聴いたり歌ったりすることができる歌だった。辛く悲しい気持ちをいつもそばで慰めてくれるのは歌である、と、生きている時代も違う『古今和歌集』の序文にもうすでに書いてある。それを読んで確かに同じように慰められている自分がいた。できることなら「私も歌に随分慰められ、とても救われました。」と、当時序文を書かれた人にお伝えしたい。時代を超えて心通じる人がいる。生きている時代が違っていても悲しみを抱えて辛いのは今の時代を生きている「私も同です。」と、お互いの悲しみを共有したい。はるか遠く離れた時代の人も同じように辛く耐えがたい悲しみを感じて生きていたことがわかったとき、とても慰められた。その序文を読んでいた頃の私は、「今、私のそばにいる人は、一番心が離れている人で、今、私の遠くにいる人は、とても遠くにいるのに、心のそばで慰めてくれる人です。」という現実に、耐えがたい悲しみを抱えながら、毎日歌を聴いたり、歌ったりしながら私の心を慰めていた。

「麻を積む村と書いて麻績(おみ)村と読みます。」
と、その村で一つしかない中学校の校長先生から突然電話がかかってきたことがきっかけで、麻績村という村があることを私は初めて知った。その頃、ウクレレの弾き語りばかりしていた私に、なぜ、中学校の校長先生から電話がかかってきたのかというと、長野県で働いて移住をしてみたかった私は、母のすすめで、最初の仕事のとっかかりとして、持っていた教員免許を活かして長野県の教員名簿に登録してみたのである。教員になることよりも、まずは、長野県に住むことを希望していた私は、今さら教員の仕事なんて、今の自分にできるのだろうかと思っていたとき、本当に学校での仕事の電話がかかってきて驚いた。
「麻績村とは、どんなところだろう。」
と、気になった私は、早速その週末に、息子と日帰りで行ってみることにした。思い立ったら行動したくなる私は、迷うことなくもう足を突っ込んでいた。
東京から電車で片道約3時間ぐらいでその村に着いた。私が長年住んで来た東京の下町の風景とは全然違い、人もほとんど歩いていない。大きな団地や商店街もない。駅のホームからは素朴な山と田んぼ、畑、線路が開けっ広げに見える。反対側のホームに人間の女性ぐらいの大きさの観音様が置いてあった。不思議な存在感で気にならずにはいられない。なんとなく引き寄せられるように反対側へ行き、観音様の前の賽銭箱にお金を入れ、手を合わせた。賽銭箱には「旅の安全を」と書かれている。駅を出ると、開いているのかいないのかもわからないような店がポツポツとあった。駅前にタクシーとバスが停まっているが、だれも乗る気配もなかった。ここは一体どんな場所なのだろうか。とても静かである。お昼どきであるがほとんど人も歩いていない。でも、初めて来たというのに、なぜこんなに私は安心しているのだろう。なんとなく懐かしさも感じている。そんな不思議な気持ちになりながら、歩いて村役場に向かった。
その日は、電話で移住相談の予約をしていた村役場の村づくり推進課の方と初めて会い、村内と中学校を案内していただくことになった。電話をくれた中学校の校長先生にも、その日に直接お会いすることができた。校長先生は、こんなにも早く私が本当に来るなんて思わなかったらしく、大変驚いた様子であった。
「おもしろそうですね! ってあのとき言ってましたもんね~。本当によく来てくれましたねぇ。」
と、言いながら大きな目で珍しそうに私を見ていた。教頭先生と中学校内を一通り見学し、私たちが去るときに、校長先生が門のところで両手で手を振り見送ってくれた。あんなに気さくに両手で手を振ってくれる校長先生がいるのだなと、ほのぼのとした気持ちになりながら、幼い頃、祖母の家から帰るときの祖母が両手でいつも手を振ってくれた姿を思い出した。あっとゆうまに駅に着き、村づくり推進課の方が最後に山の方を指をさして教えてくれた。
「あそこに見える、少し尖がっている山が冠着山(かむりきやま)と言って、この辺は月の名所でもあるんです。またいつでもゆっくり来てくださいね!」
と、言って、手を振って見送ってくれた。そして息子と帰りの電車に乗って東京の下町に帰った。

「冠着山ってたしか、おばすて山のことだったよな。」
と、十年ほど前に公立高校の国語科の古典の講師をしていたときのことを思い出した。担当した高校三年生たちと『大和物語』の「をばすて」を読んだことがあった。当時使用した古典の教科書によると、更級とは現在の長野県南部および千曲市の一部を含む地域とされている。をばすて山とは現在の冠着山か、ということが書かれていた。あれから十年ほど経ち、まさかその「をばすて」に出てきた更級という場所の付近に自分が来ることになるとは、思ってもみなかった。その冠着山が良く見える村に、意図せず訪れることになり、これから一つ一つのできごとが何かに導かれるようにつながっていくことになるなんて、そのときの私は全く予想できなかった。

「わが心 なぐさめかねつ更級や をばすて山に照る月を見て」          
この歌が過去の私から今の私の心に再びつながって、慰めがたい気持ちでいたあの頃の私を思い出させた。今でも気にせずにはいられない歌で、今も私の心に存在している。それがなぜ気になるのかは、今もまだぼんやりしているが、「をばすて山に照る月」とは、実際には、どのような月なのだろうと、気になり始めていたのは確かだった。


くさのあお - カミジョーマルコ

ともだちに せなかを押され
れんげ畑をころがりおちた
やわらかい草の感触
れんげのかおり

こみあげてくる なさけなさとは
うらはらに
ぬけるような あおい空

やがて
草をはらい 髪をなでつけて
ともだちを 追い越しに行く

まるでなんでもないふりをして
わたしは げんきに家路へいそぐ

今日は家庭訪問なのだ

先生が家へ来るのだ

〇〇さんはいじめられています、と
先生はいうのだろうか

お母さんはどんな目をして
わたしのことをみるのだろうか

とりあえず

わたしは
雑草のような笑顔をたやさない

ちょっとのことではひるまない
完璧な笑顔をつくって
先生をまつことにした。


彼女無しの話 - UNI

「どうして困っているの」
 彼女の声が聞こえなくなってしまったわたしは、わたし自身に話しかけることにした。
「どうしたらまた声が聞こえるようになるのかな」
「声が聞こえないと、困るの」
 どうしたらに対する答えを、問いかけるわたしが知っているはずはなかった。わたしだったから。
「足りない、と思ってしまう」
「いまは欠けている状態なんだ」
 毎日、欠けている。
 ひょっとすると、カレンダーのせいかもしれない。部屋の電気をつけるスイッチの上に、カレンダーを貼っている。綴じられていない一枚ずつのカレンダーは、3月のままなのだ。水彩で着色されたうすいピンク色の顔。おじさん。手描きの”March”。4月はまるまる、3月のままで過ごしたのだった。
「どうして変えなかったの」
 どうしてだろう。面倒で。クリアファイルに入れている4月を取り出すことが。はがした3月をファイルに綴じることが。
「そんなこともできなかった」
「しかたない、そういうときもある」
 小学生みたいな励ましだ。彼女の声無しには。
「くぼたのぞみさんの『山羊と水葬』を出してきて」
 お気に入りの本。表紙もいいんだ。真ん中よりすこし前のほうだっけ。焦らないで。前から順に、ページをめくっていこう。ここだ。「日本語再学習から「世界文学」まで」の章だった。
『旧植民地、北海道に生まれ育った人間には、和歌や俳諧の世界は異国の文化にもひとしく、しかし、そのことに気づいたのは東京に出てからだった。』
『東京に出て完全に打ちのめされた。「季語」などからきし実感できていなかったのだ。無理もない。東京は雨の降り方からちがうのだから。』
 くぼたのぞみさんは、自身の体内に育まれたことばが荒々しい北海道の自然と外部から入植した社会が作り出したものだと、東京で体感する。
 わたしが貼らなかったカレンダーの4月。あたたかな瀬戸内の気候。私鉄沿線に意図的に植えられた桜はこの時期、もこもこと花のトンネルを作る。駅を出て歩けばぎゅうぎゅう詰めの家々から音と匂いがこぼれてくる。五分ほど歩こう。坂を登ろう。振り返ると冬にスッと冴えていた海上の空はまどろんで、とろんとしたパステル画のような大阪湾が広がる。
 離れれば離れるほど、風景はあざやかに。
「だから4月のカレンダーを貼らなかったの」
「たまたまね。面倒だったからね」
 どうにかして、声を拾いたい。
「どうにかして、という言葉は、策が無い人の言葉」
 意地の悪いわたしの声はまちがっていない。どうにかして。水を飲んで。どうにかして。風を浴びて。どうにかして。部屋から出て。
「育んできた言葉がこの土地になじまないことを、今やっと、体感しているところ」
 彼女の声のかわりに、『山羊と水葬』を読みこもうか。くぼたさんが声になってくれるだろうか。思いつくことをなんでもやってみたらいい。策が無いから、どうにかして、開き直ってどうにかすればいい。
「どうにかして」
「どうにかして」



今日の空の色は 熊本旅行 後編 - RT

2月12日 快晴 遠透水色
カレーパンを買ってホットコーヒーを注文して、外から見えていた辺りに行くと、窓に向かって席が空いていた。アンティーク調の小さなテーブルに椅子がひとつ。お店の隅っこにその席だけが外を向いている。わたしを待っていてくれたような席だ。すんなりとそこに収まって、びゅーと体だけが先に着いてしまってまだ来た道の途中にいるような心を待つ。
珈琲もパンも美味しかった。隣の席から中国語の会話が聞こえる。しゃきしゃきしてぴんと澄んでいる。
じわじわと自由を噛みしめる。今日と明日はしたいことだけをするのだ。誰もわたしのことを知らない街で。
市電というのはどうやら路面電車だということがわかってきた。だから駅を探してもなかったのか。食べ終わってお店を出てさっきと同じ道を歩く。ファッションビルがあったので入ってみる。服を買う予定はないけど九州ではどんな服が売っているのか見てみたかった。ベーシックな服が多いようだ。見ていて落ち着く。大阪は派手と思われがちだが案外豹柄とか売っていない。でもその店にもよるけど全体的にチカチカするというか賑やかで情報量が多い感じがする。色の数が多いのかもしれない。
そろそろ市電に乗ろう。路面を探したらすぐに見つかった。来た市電に乗り込む。ICOCAが使える。最寄り駅で3000円チャージしておいてよかった。すぐに反対側に乗ってしまったことに気づいた。次の停留所で降りる。料金が発生してしまったが一駅乗ってもどこまで乗っても170円という定額制はありがたい。目指す方向に乗り直した。まずは美術館に行こう。そのために来たのだから。

わたしの絵、坂口さんの絵だがあえてわたしの絵と言わせてもらう。はかなり初期の方に分類されていた。熊本でなくポルトガルの空を描いている絵で、優しい青と白色に惹かれた。ポルトガルの空はこういう色をしているのかな。
久しぶりに見た絵は美術館で兄妹たちと並んで安心して呼吸をしているように見えた。来たよ。ほんとに熊本来ちゃったよ。やっと会えたね。ひとりで旅することは寂しくはなかったけど絵の前に立って心が緩むのを感じた。順番に他の絵を見ていく。水も空気も澄み渡っているようで、光をどうやって描いているのだろうと観察する。白のパステルをぐいっと塗っているのが光り輝いているのだ。何一つ誇張したところはない。見たままを描いているように見える。けれどわたしがこの風景を見てここまで美しく感じることができるだろうか。時々絵の色合いが変わる。このとき鬱だったのかなと想像する。鬱の苦しい時も絵を描き続ける。世界の色が違うように見えてそれでも絵を描く、言葉を紡ぐ。坂口恭平さんと同じ時代に居合わせることができて良かった。時々めちゃくちゃなことを言ってるなと思うけど自分の電話番号を公開して死にたい人の声に応え続けるのは誰にでもできることではないし、仕事場で誰とも話さないお昼休み坂口さんの「発光」を読んでどんなに力づけられただろう。
もう一度わたしの絵の前に立ってギャラリーショップで前から読みたかった「躁鬱日記」を買って美術館から出た。百貨店が見えた。鶴屋百貨店。地元のお店みたいだ。入ろう。お茶を飲むところがあったら寄って行こう。特設コーナーで全国のおいしいものフェアをやっていて、晩御飯を買っていくことにした。売り場を何周かして鹿児島の角煮弁当を買った。百貨店のカフェは並んでいたので行くのをやめて、市電でホテルの最寄り駅に移動することにした。
ホテルのある駅には大きな商店街があって歩いてみることにした。カフェはどこも混んでいた。洋菓子屋さんに入った。バレンタイン用のチョコレートが売っていて中身は同じトリュフのようだけどいろんな包装紙に包まれていて全部が宝物みたいに可愛い。買わずにはいられなかった。熊本のお茶屋さんがあってフレーバーティーを売っていた。試飲を勧めてくれて飲んだらぽかぽかする。いくつかの種類を買った。
ホテルに向かう。霊感はないのだけどホテルの部屋の大きな鏡が怖くて落ち着かない。東京に泊まった時深夜に家に何回も電話をかけて迷惑がられて、仕方なく寝たんだけど寝ぼけて緑色のもやもやしたものが見えてあれはなんだったのだろうと今でも思う。エレベーターから降りたら廊下はしんとしていた。心細い。
でも部屋に入ったら思ったより広すぎず全てがコンパクトにまとまっていて快適そうで、ここで明日の朝まで過ごすことが楽しみになってきた。買ってきたお弁当を早速食べた。温めもしないで食べた。美味しかった。ペットボトルのお水をコップに入れて飲んで、もはやホテルの周りを散策するなどと考えもしなかった。お風呂に入る気もなかった。早起きできたら散策しよう。今はベッドで本を読もう。
スタンダードブックストアで松井寛子さんの「映画宣伝おばちゃん」のトークイベントに予約していて、その本を持ってきていた。普通の主婦だった松井さんが、人に誘われたり出会ったりして映画の宣伝の仕事をするようになっていく話で、まず自主上映のチケットを何百、何千と知り合いのつてを辿って手売りするところで普通の話ではないと気づいたけど見たことがある映画の話もあってとても面白い。時々スマホを見る。坂口恭平さんがどんどんリツイートをしていてたくさんの人が熊本にいることが流れてくる。フェスみたいだと言ってる。わたしはベッドに寝転がってフェスに参加している。嬉しい嬉しい。わくわくする。時計を見ても見てもまだ寝る時間にならない。家事をしなくてもよくてお部屋が綺麗に片付いていて、そしたらこんなにゆっくりと時間が流れていくんだ。ミニマリストの気持ちがわかる気がした。フロントでもらってきたくまモンの段ボールに宅配便で送る荷物をまとめて、寒くなってきたから自動販売機でお水を買って紅茶を作った。チョコボールを食べた。10時になったからお薬を飲んで、顔をちゃっと洗って歯を丁寧に磨いて、何回もトイレに行って、布団を被って仰向けになって目を閉じたら次に気がついたときはもう朝だった。
シャワーを浴びて朝食を食べに行ったらいっぱい人がいて、こんなにみんなこのホテルに泊まっていたんだ。いいホテルだったよね。明るくなったら強気になっていた。散策はしないままだった。
再び市電で熊本駅へ。あまくさみすみ線の乗り場へ行く。もうすぐ出るようだ。電光掲示板で一時間後に「A列車で行こう」という表示があることに気づいた。特別な電車に乗って行けるみたいだ。内装の写真がおしゃれで、せっかくだからこれに乗ろう。窓口に行って指定席を購入した。
時間ができたから昨日のパン屋さんでいちごサンドと珈琲を買って昨日と同じ一人がけの席に座って食べた。朝のおやつだ。
100%のみかんジュースを買ってA列車に乗り込んだ。1時間の列車の旅。途中の駅のホームで現地の人がスムージーを販売してくれるという放送がかかった。そうなんだ。でもみかんジュースがあるからな。わざわざ来てくれるなんて親切だなあ。駅で10分くらい停まっている間ずっと座っていた。現地の人が手を振って見送ってくれた。ハイボールがあるという放送も流れた。まだ午前中やしなあ。飲まなかった。後で知ったことだけど別の車両におしゃれなバーカウンターがあって、そこで飲むハイボールがA列車の名物らしかった。
列車は海が見えるところに差しかかってまた放送が流れた。そこで気づいたけどみんな海側の席に座っていてわたしの側の席はガラガラだった。指定席を買ったときわたしだけ海側の席にしてくれなかったのかな。少し寂しくなって同じ列の海側が空席なことにビビッときてチケットを確認したら座るところを間違えていた。急いで席を移動した。もともとここがわたしの席なんですよ…と心で言い訳していた。移動した直後に写真を撮ってくれると車掌さんがやってきて何のお咎めもなくスマホを預けてプラカードを持って撮影してもらった。満足顔の写真を家族のLINEに送ったら「楽しんでるね」という返事が来た。
列車は三角駅に着いた。マラソン大会をやっていた。海の展望台に行きたくて道を渡るのに警察の人に誘導してもらう。思いもよらない賑わいかただった。貝殻の形をした展望台をぐるぐると上がっていく。広い海。高い空。島が見える。きれいだ。深呼吸してみる。でも考えていた。一泊では短すぎた。まだ不知火海を見られていない。水俣も遠い。天草の教会に行こうと思ったらまる一日が必要だ。自分の歩ける幅などちっぽけなものであると強く感じた。またぐるぐると降りてきて、産直の販売所で梅干しのおにぎりとお茶を買って、次の電車まで時間があったので駅前で出店をしておられた珈琲屋さんで珈琲を注文した。「どちらからですか?」「大阪から来ました。」「今日はこの辺りは年に一番と言っていいくらいの賑わいですよ。」珈琲屋さんが笑った。なんて優しい話し方だろう。熊本の街で、電車の中で、誰かが話す言葉が聴こえてくるたびにそう感じていた。〜しておらす。って、関西弁で〜してはる。というのとたぶん同じ意味合いだと思うけど、相手のそのままを尊重するような優しさを感じる。しみじみと熊本の温かさを感じながら、珈琲はとても美味しかった。
帰りの電車で熊本の文学者たちのことを考える。ものを書くことについて考える。おそらく石牟礼道子さんはどこにいらしても文章を書いていただろう。でも高群逸枝さんがいて、水俣病があって、渡辺京二さんがいて、そこに石牟礼さんがいなかったらどうなっていただろう。わたしは文学者と呼ばれる人にはならないだろう。特に使命を持たない、なにも成し遂げない人生もあるんだな。でもそんな自分のことが嫌いじゃない。わたしはわたしの思うことをこれからも書いていけたらいい。
熊本駅に帰ってきたらお昼だった。新幹線は夕方に予約している。市電に飛び乗ってホテルのあった駅へ。橙書店さんを探す。迷っている時間がないので本気を出してGoogleマップを見る。無事に着いた。なかなか広いお店に本があって喫茶コーナーもあって、喫茶でお客さんが談笑していて、たくさんの人が本を見ていて、見た感じ田尻久子さんがおひとりでやっておられるようだったのでどんなに忙しいだろうと思った。店内の本を見て田尻さんがどういうことを大切に考えておられるのか現れているようだと思った。このお店が好きだ。アルテリの背表紙に猫がいることを知って面白いなと思った。アルテリを三冊と渡辺京二さんの本を買った。ここに来られてよかった。またいつか来られるだろうか。また来たい。ふんわりした気持ちでmuseumを探す。隣にそれらしいものはない。マップに住所を入力して行ったら近代建築の建物があって、たぶんここだと思ったけど看板には別の名前が書かれていて人っ子ひとりいなかった。ほの暗い階段を上がって行ったら合っていた。恐る恐るドアを開ける。明るい。客はわたしだけだった。白い壁に飾られたフレームの中に小さい熊本がいくつもあった。静かにきらめいていた。
素早く市電の駅に戻って熊本駅に向かう。市電に何回も乗ったからすっかり馴染んだ気持ちになっていた。
熊本駅で明太子をやっと買えた。鞄がぱんぱんになってくまモンの段ボールで着替えとかは送ったのにどういうことだろう。時間があるからラーメンを食べようかと思ったけど胸がいっぱいというかそこまでお腹が空いていなくて、鞄におにぎりが入っているけど食べる場所がなくて、待合室で一時間座っていた。この旅行ではとにかく時間待ちばかりしていたなと考える。便利な町で暮らしているので待つことが苦手になっていて、でも立ち止まって待つ時間はなかなかよかった。分刻みのスケジュールに追われるよりも自分に合っている。
新幹線が動き始めてホームの窓から熊本の街が見えて寂しくなった。市電で行ったり来たり楽しかった。まだ帰りたくないけど家がいい。
隣の席は一人目の人が途中で降りて行って、しばらくして別の人が来たから席を立って通ってもらおうと思ったのに深く腰掛けていてもたついた瞬間に前をさっと通り抜けられてしまった。自分の領域に勝手に入られた感じがしてもう駄目だった。相手の人が悪いわけではない。自分が立ち去ればいいだけなのに立ち去れない。躁鬱日記を読むことに集中してやりすごしていたけど読み終わってまだ岡山あたりだった。降りたい。こんなに不機嫌のスイッチが入りやすい人間性。降りてふぁーってしたい。心がざわざわしてきた。新大阪に着いてふぁーっとしようとしたら人が多すぎてリラックスできない。空気が不味く感じる。うなだれて在来線に乗ったその時のわたしは剣山みたいに尖っていただろう。最寄り駅まで迎えに来てもらって家についてもまだぐったりしていた。

今絵は戻ってきてなにも無かった顔をしてうちの壁にかかっている。わたしは君を追いかけて行って怖くなったり感激したり不機嫌になったり、結構大変だったよ。次の月のカードの引き落としと電気代の大幅値上げで倒れるかと思った。でもたまらなく楽しい旅だったという気がしている。
また何年後かに絵を貸してくださいという話があったらいいな。


犬飼愛生の「そんなことありますか?」⑥

そこのけそこのけ、あたしが通る。ドジとハプニングの神に愛された詩人のそんな日常。

「骨髄バンク」
 それは突然の知らせだった。「日本骨髄バンクからのお知らせ/あなたと患者さんのHLA型が一致し、ドナー候補に選ばれました」。こんなメッセージがスマホのショートメッセージに送られてきたのだ。「詳細はhttps://www······」とリンクが貼ってある。「ログインの際は以下のログインIDが必要です······」ははぁん、またフィッシング詐欺ですか。つったく、どうしてこうも詐欺を働くやつが減らないかね······。その手には乗らないわよ。······しばらく考えて、いや違う、これはマジのやつだ。私が登録した骨髄バンクから本当に連絡が来たのだ。そう理解したとたん、胸がドキドキした。何年も前に登録した骨髄バンク。時々骨髄バンクニュースという冊子が郵送で送られてきていた。そのたびに「私はいったいいつになったらドナーに選ばれるんだろうなあ、もう選ばれないのかなあ」と思っていた。それが、いま、こんなスパムメールみたいな姿をしてやってきたのだった。半信半疑のままそのリンク先を人差し指で押してみた。「ドナー候補者の方へ」と画面が表示される。そこには「web問診入力システム」へのリンクが貼ってあり、正式な適合通知はいま郵送しているところだが、先にこのweb問診を受けてもらうこともできる、と書いてあった。骨髄バンクに登録したのは30代で入学した看護学校時代に骨髄バンクに関する講演を聞いたこと、そしてそのあとまだ年若い女性の競泳選手が白血病を公表したことがきっかけだった。骨髄バンクへの登録は献血会場で簡単にできる。こんなにも簡単に登録できるのか、と拍子抜けした。それから何年もたったがいつまでも適合通知は届かなく、今に至っていた。それが、突然やってきたのだ。どこかで、私の骨髄を必要としている人がいる。
 骨髄バンクのドナーに選ばれたことを興奮気味に夫氏に伝えると、案の定いい顔をしなかった。「リスクとか、あるんでしょう?」。そりゃあ、入院して骨髄を採取するんだからリスクゼロではない。だが、それがなんだというのだろう。私もあなたも、私たちの子供もいつ白血病になるかもわからないのだ。そのとき、見知らぬドナーが助けてくれるかもしれない。それが骨髄バンクのシステムだ。「まぁ、ねえ······」と夫氏は苦い顔をした。骨髄提供には家族の同意が必要なのでこれから説得して絶対に同意してもらう。息子は「おん、同意する。がんばれ」とだけ言った。「私が入院しなければいけないけど、大丈夫? 入院したらお見舞いに来てくれる?」と聞くと「おん、行くよ」と短く答えた。私は家族がお見舞いに来て、私が笑いながらプリンかなんかを食べているところを夢想した。私はこの時点でやる気満々だったが、翌日に届いた骨髄バンクからのきついオレンジ色の封筒を見てちょっとひるんだ。きついオレンジ色の封筒からは「絶対に開封してください。大事なことが書いてある」という気迫がビシビシと伝わってきた。ドナー候補は一人の患者さんに対して何人もいることもあれば、一人しかいないこともある。そもそも非血縁間だとドナーと患者の適合率はかなり低い。その低い確率の中からどうしてか私が誰かと適合したのだ。ドナーとなると骨髄採取の時に何日か入院したり、事前に説明や検査のために病院に通ったりする必要がある。そのため、仕事や家庭の都合でドナーとなることを辞退せざるを得ない人も一定数いる。最悪の場合、複数のドナー候補がいても全員辞退となれば、せっかく適合した患者さんは骨髄移植をあきらめなければならなくなる。私は絶対そんな思いを患者さんにさせたくない。問診をwebで回答した翌日、すぐに骨髄バンクから連絡があった。私が画像で送った健康診断の結果についてだった。恥ずかしながら健康診断の結果はオールA とはいかず、一部良くない項目もある。人に骨髄をあげるくらいなんだからなにより自分自身が健康でいなくちゃいけないのだ。最終的には採血などをしてドナーになれるかどうかを判断するので、いまの時点ではわからないがこのまま話を進めさせてもらうということだった。自分の身体の都合で万が一提供できなくなったら患者さんに申し訳がない。
 さっそくこの日から、禁酒、ダイエット、鉄分補給を開始した。昨年、ダイエットを成功させてくれた漢方薬局の先生のところに飛んでいく。ダイエットもまだ見ぬ患者さんのためならば頑張れる気がする。少しリバウンドしていたので、再びサプリでドーピング課金して痩せるつもりだ。鉄分補給は南部鉄器で沸かした白湯では足りないので、鉄分補給ウエハースというお菓子を買ってみた。ダイエットと相殺されてしまうがそこは脳内でなかったことにする。なんせ、人生最大の善行をするのだ。これくらいは神様も配慮してくれるだろう。正式にドナーに決まったら、職場にはどう伝えよう。念のため1週間くらい休みをもらおうかな。自治体からも休業した場合の補助金がでるし、金銭的には影響がない。ドナーが所属する職場宛てにも補助金がでるし、職場が医療機関だからたぶん反対はされないだろう。入院のときには何を着ようかな。着すぎて布が薄くなっているスエットはさすがに恥ずかしいから、新調しよう。全身麻酔ってどんな感じかな。すでに決まっているスケジュールはどうしようか、コーディネーターさんに伝えておかなければ。私はこれから起こるであろう様々を想像してワクワクした。
 1週間くらいすると、またあのきついオレンジ色の封筒が届いた。おお、次のスケジュールが決まったのかな、採血か? どんとこい。こちとら、健康的な生活しかしていないぞ。ドキドキしながら封筒を開くとそこには「コーディネート終了のお知らせ」と書いた紙が入っていた。さぁ、みなさんこのエッセイのタイトルを唱和しよう。「そんなことありますか?」。あるんです。詳しくは明かせないらしいのだが、患者さんの都合で終了するとの趣旨だった。この短期間なのでほかのドナーに決まったとは思えない。もっとよい方法があって、骨髄移植をしない治療に変えたと思いたい。コーディネーターさんからは早期に修了なったお詫びと「お気持ちありがとうございました」という言葉が手書きで添えてあった。その温かい手書きの文字でこの1週間の私の気持ちが救われたような気になった。一瞬つながりかけた患者さんが絶対良くなって日常生活に戻れますように。そしてまたいつか私が別の患者さんのドナーに選ばれますように。
さて、目的を失った私のダイエットは頓挫し少々やけ食いをした。体重は1キロ増えた。本当にドジとハプニングの神は私を愛している。いや、このエッセイのキメ台詞だから書いてみたが、今回の神は少々思わせぶりな神だった。たまにはこんな神もやってくる。



書いてみて思うのは - スズキヒロミ

 本当に不思議な現象だと思うのは、書いてみて「これで良いかな」と思って渡したものを、いざ人前に掲示してもらうと、とても見ることが出来なくなってしまうあれです。
 先月のこの場所に、私は詩のようなものを載せていただいたのですが、それを頑張って一度だけ読むのが限界でした。ああして見るとまだずいぶん荒削りなものに思えました。
 ということで、この詩がなぜこのように読みにくい詩となっているのか、改めて読み直してみます。

 目をそらしたくなる気持ちをおさえ2読目を終えて気になるのは、頻繁に登場するスペースです。読んでいてどことなくまどろっこしさを覚えるのは、この空白のせいではないかとも思われます。カギカッコあるいは改行でもっと整理できたのでしょうか。
 もう一つ感じたのが、この詩の「主題」が不明瞭だ、というものです。私は何を書きたかったのでしょうか?

 この主題が何であったのかというと、最後の握手の場面だったのでした。おそらく再会は無いだろうな、と考えつつも、駆け戻ってきた友人の姿を見た時の気持、心から再会を願って手を差し伸べた時の気持を書いてみよう、というのが目あてでした。
 ならば、前半の冒頭「明日にはもう〜急な話」だけを残してあとはばっさり切り、後半「今日という日が〜」につなげてみるとどうなるでしょう。
 何だかこれはこれで成り立つような気もします。しかし話が急に過ぎて、ますます訳がわからなくもあります。切る前の方がまだましだったような気もしてきました。

 実を言えば、そもそもこんな詩を書くつもりでは全くなかったのでした。
 この前の誕生日、残業を終えた帰り道にふと携帯を見たら、あと2時間で日付が変わることに気がつきました。「今日という日がもうすぐ終わってしまうな」と浮かんだこの言葉に、続けて思わぬ言葉たちがつながって出てきました。戸惑いながら帰宅し、あわてて取ったメモが詩の原型になりました。そもそもこの話を書くつもりではなかったのです。
 つもりではなかったけど、この詩の原材料は、外に出される日を、私の頭の中で待っていたのでしょう。
 私は「書く」ということを、「頭の中のものをそのまま外に出す」ことだと考えていましたが、それは少し違っていたのかもしれません。頭の中の原材料は、外に出しても原材料でしかなくて、それに手を加えて初めて読めるものになるのですね。
 こうして、一度書いたものをあれこれ直してみようとはしましたが、結局元のものさえ超えられないようです。料理の味付けに失敗した時に、さらに調味料や水を足しても挽回できないのと似た感じがします。あきらめましょう。
 さて次は? どうしましょうか。
 レシピ通りに料理するように好きな詩を書き写してみたり、手持ちの材料でまかないなど作るように、これからもまた何かを書いてみようと思います。


イメージの鍵をそこに見る - 下窪俊哉

 家の2階にある私の部屋の窓からは、隣に立つ大きなタイサンボクがいつでも見えている。真っ暗になる夜にも、暗闇の中にその存在がありありと感じられる。風が強い日には、まず木が風の到来を教えてくれるし、そこへやってくる鳥たちの声が朝、昼の時間を教えてくれる。その木はいま、家の屋根よりも高くまで背を伸ばしている。朝には、生い茂った枝葉の中に光をぽたぽた落とし、それを見ている私の目を愉しませてくれる。光は木の内部に吸い込まれて、土の匂いを感じている。タイサンボクは常緑樹なので年中ほとんど変わらないが、毎年5月頃になると蕾を見せ、やがて甘い香りのする白い大きな花を咲かせる。その花が生々しい燻んだ色に変わり、枯れて屋根に落ち、派手な乾いた音をたてるともう夏である。

 たとえばそんなふうにして、木というもの(生き物)を、ことば(意味と音)で書いてみる。
 その中には、イメージの風が吹いている。イメージは、感じたり、考えたりするものである。
 ユングがこんなことを言っている。「イメージは生命力をもつが、明確さに欠ける。概念は明確だが、生命力に欠ける」
 つまりこんなことも言えるだろう。はっきり見えないものを見て書くときに、イマジネーションは強く働く。
 木の中に取り込まれた光を、実際に目で見ているわけではないが、書き手の私はそれを感じている。たとえば風も、風そのものが目に見えなくても、イメージによって見えるようになるのである。

 先月のWSマガジンには、こんな表現があった。

今日は花が燃えさかる
儚いなどと誰がいったのか
桜が燃えている

(神田由布子「燃えさかる」より)

 これは詩が花を咲かせる前の、蕾のような断片なんだろう(それこそが「詩」だと感じることもできそうだ)。ここには、桜は「散る」ものだ〜「儚い」という一般的なイメージへの反抗がある。そのとき書き手には確かに燃えているように見えたのだ。しかし花に火が移って、火事が起こっているのではない。そのとき花は、花として燃えている。

 こんな表現もあった。

みどりの雨が 降って
降って
降っている
休みの午後

(カミジョーマルコ「つちのこ」より)

 ここにある「みどりの雨」という表現からは、イメージの膨らむ余地が大きく残されているのを感じる。それは本当に雨なのか? とすら感じさせる。書き手は絵を描く人なので、雨の休日、家の中でノンビリ過ごしていてふと目にした光景に、いつか描くかもしれない絵の着想を得て、ひとまずそれをことばにしたのかもしれない。そこには「みどり」を置きたいと感じた、イメージの鍵をそこに見ている。

 私たちが行っている創造とは殆ど全てが、再創造(re-creation)である。常識(類型)を崩して、そこに再び現れるものを待つ。
 そのときによく見えて、感じられてくるのは、物事の細部(detail)である。細かいところが起き上がり、書き手に訴えてくる。あるいはやって来てくれる。いわば小さな石ころを拾うのだ。それが着想になる。
 そこで独自の、オリジナルな細部(detail)さえ手にすることができれば、書くものは必ず生きる。
 しかしそこですぐに書き出すのはもったいない。素晴らしい小さな石ころとの時間を、じっくり持ちたい。

(私の創作論④)


表紙・宮村茉希


巻末の独り言 - 晴海三太郎

● 5月になり、暑かったり、肌寒かったりしています。晴れた日の午後、今月もWS(ワークショップ)マガジン、お届けします。● 「洗練や熟考」よりも「書きっぱなしの粗削りなもの」を大切にしようと言いながら始めたこのウェブ・マガジンも、これで6回目、半年が過ぎました。どんなふうに感じられているでしょうか。● いきなりここで書き始めて、自信を持てない人もいるようですが、自信を得てから人前に出そうと思ったら「旅に出る準備をするために生まれてきた」ようなことにもなりかねないので、旅にはとりあえず出ましょう! とでも言っておきましょうか。また、上記のような私の姿勢を見て「1行の重みを忘れないようにしましょう」と連絡くださった方もありますが、重さを感じられるからこそ軽さも感じられるわけなので、そういうこともたまに考えてみたらよいかも。読んでいて、そこに「重み」を全く感じられなくなっているとしたら、心配ですけれど。● このWSマガジン、参加方法は簡単で、まずは読むこと、次に書くこと(書いたら編集人宛にメールか何かで送ってください)、さらに話すこと、というのもあり「WSマガジンの会」というのを毎月Zoomを使って画面越しにやっています。全てに参加しなくても、どれかひとつでもOK、日常の場に身を置いたまま参加できるワークショップです。● 書くのも、読むのも、いつでもご自由に。現在のところ毎月9日が原稿の〆切、10日(共に日本時間)リリースを予定しています。お問い合わせやご感想などはアフリカキカクまで。


道草の家のWSマガジン vol.6(2023年5月号)
2023年5月10日発行

絵(表紙)- 宮村茉希

ことば - RT/犬飼愛生/UNI/カミジョーマルコ/下窪俊哉/スズキヒロミ/なつめ/晴海三太郎

工房 - 道草の家のワークショップ
寄合 - アフリカの夜/WSマガジンの会
読書 - 波をよむ会
放送 - UNIの新・地獄ラジオ
案内 - 道草指南処
手網 - 珈琲焙煎舎
名言 - 最後尾を走って先頭に回る
謎謎 - 中にラジオが入っている花は、なーに?
天気 - 遠透水色
準備 - 底なし沼委員会
進行 - ダラダラ社
心配 - 鳥越苦労グループ
音楽 - 鼻唄合唱隊
出前 - 闇鍋愛好会
配達 - 竹馬便
休憩 - マルとタスとロナの部屋
会計 - 千秋楽
差入 - 粋に泡盛を飲む会

企画 & 編集 - 下窪俊哉
制作 - 晴海三太郎

提供 - アフリカキカク/道草の家・ことのは山房


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