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豆腐とオリーブオイル

午前中、彼は妻が運転する車に乗って、近くのスーパーに買出しに行っていた。昨日の朝も同じスーパーに向かって、玄米と蒟蒻を買った。他にも何か買ったと思うが、彼は昨日のことを覚えていない。

昨日と同じように車を駐車場に停めて、店の入口に歩いていくと、一定の間隔をあけて人が並んでいた。スーパー側が入場制限をしていて、店内に入る人数を決めて誘導していた。

5分ほど待ってから、店内に入る。入口付近でカートを引き寄せてカゴを載せる。店内は普通に混んでいる。密だ。ここは厳選された野菜や果物が各地から集められている特別なスーパーだ。朝から当たり前のように人が多い。高齢者も多い。若い人もいる。産地や生産者がわかるように立札に記されている。商品に貼られたシールにも記載されている。品物を選ぶ人も楽しそうだ。活気がある。

彼は、豆腐を探していた。木綿か絹ごしか、どちらかというと絹ごしの豆腐を探していた。どちらかというと、というのは、実際、木綿か絹ごしか、どちらが食べたいのか決めかねていたからだ。彼が食べたいと思っているのだから、必然どちらかになるはずだが、木綿と絹ごしのどちらをイメージしてみても彼にはよくわからなかった。

彼はなぜ、豆腐を食べたいと思っていたのか。少し前に、東京に住んでいる友人から届いたお中元の中に上等なオリーブオイルが入っていた。彼はこの上等なオリーブオイルで豆腐を食べたくなったのだ。

彼がよく行く友人宅で、ご飯を食べる機会があった。その際に、近くの豆腐屋で買ってきた豆腐をそのまま皿にのせて、塩をふってオリーブオイルをたらして食べた。これがとてもおいしく感じたのだ。それはシンプルだったが、とてもおいしかった。

その美味しさを再現したくなった彼は、ちょうど美味しいオリーブオイルが手に入ったこともあって、各地から名品が集まってくる特別なスーパーで美味しい豆腐を買い求めに行ったのだ。

友人宅で食べたのは木綿だったか、絹ごしだったか。売り場の前で彼は思い出せない。棚の中の木綿豆腐の横には焼き豆腐があった。これは違う。絹ごし豆腐の横には、おぼろ豆腐があった。このなかでは絹ごしのような気がしたが、彼はおぼろ豆腐を手に取った。

家に帰り、しばらくしてからお昼ごはんを食べる時間になった。彼はおぼろ豆腐をパックから皿にうつす。塩を適量振って、上から上等なオリーブオイルをかける。「こんなにかけるの?」と妻が言う。「かけすぎた」と彼は釈明する。「食べてみてよ」と彼は妻に食べるよう促す。

他の食べ物の準備もあって妻はなかなか食べようとしない。ようやく椅子に座った妻は、皿に盛られたおぼろ豆腐をスプーンで掬って口に運ぶ。表情を変えず「ふつうにおいしいかな」と妻は言う。彼も食べてみる。

友人宅で食べた、あの豆腐の味と違う。何かが違う。それなりにおいしいが、違う。オリーブオイルが違うのか、おぼろ豆腐ではだめだったのか。もしかして木綿だったのか。まさかの焼き豆腐だったのか。やはり絹ごしだったのだろう。

【2020/08/10 ライティング・マラソン 20分+30分 編集】


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