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CityPopはなぜ世界の心をつかんだのか。ある奇跡のストーリー。

雨のしずくが伝う窓から、華やかな街の灯りが見えていた。タクシーが走るたびにその明度と色彩は、刻々と変化していく。
思わずため息をつきたくなるようなシティライトが、心の奥にキラキラとした粒子になって沁みていく。
ウォークマンのヘッドフォンからは、音楽が聴こえていた。
街のノイズもタクシーの走行音も運転手のおしゃべりもすべて無音で、音楽だけが僕の内側を流れていた。それを聴きながら見る六本木の夜は、ミュージックビデオのワンシーンのようで、あふれる詩を感じさせた。

若い僕は東京で働いていた。
高校くらいからクリエイティブな仕事をしたいと思い、広告会社に就職し、職業コピーライターまでやっとたどり着いた。東京は広大で、雑多で、エネルギーに満ちていて、強力な磁力で人を捉え続け、巻き込み続けていた。東京で働く夢は叶い、頑張るしかないんだと決意し、毎日を慌ただしく生きていた。

さっき丸の内のオフィスを10時直前に出た。いつの間にか落ちている雨に少し濡れながら、社の前からタクシーを拾った。
キャッチコピーを朝からサインペンで猛烈に書き続けていたせいで、右手が少し痛かった。そのことにやっと気が付く。夏の夜には熱気がまだ残っていた。

夜7時頃に僕のデスクの固定電話が鳴って、「ハッピーバースデイ!! 集まろうよ、六本木で」と陽気な女性の声が聞こえた。「え、今日は誕生日じゃないよ。夏生まれだけど・・・」と言うと、「いいじゃないの。人は毎日生まれ変わるんだから」と言った。「ま、いいから今日はお店に来て。みんなでお祝いしましょう!!」と続けた。

80年代初めのその頃、人は集まると仕事をし、お互いの意見をぶつけ、長いミーティングをし、そのあと夜の東京のどこかで食べて飲んだ。毎日、仕事が終わるのは深夜近くで、それから小さなパーティに出かけるのだった。六本木、青山、表参道、渋谷・・・。その界隈には、クリエイティブな空気が濃厚にあり、夜のスポットには多くのクリエイターたちが集った。

目指す店の近くまで来たが、六本木通りは10時をすぎて渋滞をしていた。景気は上り調子で、多くの人がこの時間になっても街に残り、今日一日ぶん(あるいはそれ以上)の幸せを求めてうごめいていた。ディスコでは、昼はオフィスで働く女性たちがボディコンスーツに身をまとい、踊り続けていた。
僕は音楽を聴いていた。「STAY WITH ME~真夜中のドア」。
録音した時にできたレコード針のノイズがプツプツと刻まれていた。

2020年12月、世界の音楽チャートに「奇跡」が起きた。
SportifyグローバルバイラルチャートNo.1に15日連続で、ある日本の楽曲が君臨したのだ。

なぜ、奇跡なのか。それは、この楽曲が41年前にリリースされた忘れ去られた曲だったから。英語でなく日本語で歌われた曲だったから。映画やドラマに使用される、などのきっかけが何もなかったから。
どう理屈をつけても説明できない出来事がこの世にはごく稀に起こるものだが、これはまさにそれだった。しかも、世界という大きな舞台の上でそれは起こった。

松原みき「STAY WITH ME〜真夜中のドア〜」。1979年、デビューシングル。19歳。4'34"。

バックミュージシャンは最高峰のスタジオミュージシャンで構成されていた。ヒットはしたが、日本のチャートNo.1になることもなかった。16ビートのファンキーなノリと洗練されたコード進行が特徴の「CityPop」と名付けられた音楽ジャンルに分類されていた。CityPopは、ところどころに英語の歌詞が入ることが多く、cyberpunkのモデル都市である「東京」にぴったりの世界観を持っていた。

YouTube で「CityPop」と検索すると数多くのミュージックコンテンツが現れる。コンピレーションで当時の曲たちがアップされている。山下達郎、竹内まりや、杏里、大橋純子、八神純子、吉田美奈子、角松敏生・・・。竹内まりやの「PlasticLove」は5687万回視聴に今、達している。書き込みを見ると、上から下へ英語コメントがずらりと並ぶ。coverも日本人ではなく、外国のアーティストたちが日本語で自然に歌っている。

驚くのは、CityPopはもはや国籍を無くしていることだ。国籍を超えたのではなく、もう国籍がないのだ。

「STAY WITH ME」のcover(on YouTube)に、こんな書き込みがいくつもあった。

Song: japanese
Singer: Indonesian
Comments: english
Me: british

ネットピープルたちは、多種多様なSNSメディアで、瞬時のコミュニケーションで、「LIKE」の基準で、融合連鎖し世界を動かしている。自分たちのお気に入りを誠実に見つけ出し、熱意を込めながら、想像を超えた規模のコミュニティを創造する。もはや強大なマスメディアも、レコード会社や広告会社のプロモーションも、レガシーな存在へと位置を変えつつある。

「STAY WITH ME」の発火点は、インドネシアの一人の女性だとも言われる。イスラム教徒の彼女が日本語でこの曲をYouTubeにアップした時、世界は目覚めたのだった。やがて、そのひとりの目覚めはネット空間に共感をもたらし、映像系のSNS・TikTokでも急速に拡散していった。
Japanese CityPopは、クールジャパンで言えば数億円、いやそれ以上の投資に匹敵する効果を生んだだろう。しかも、ゼロ円で。この音楽の奇跡に気づいてないのも、ただ日本人だけだった。そこに少しの寂しさを僕は感じている。

松原みきはもうこの世にはいない。

44歳の若さで天国へ旅立った。もう16年ほど前になる。彼女が亡くなったニュースに、僕は気づけなかった。すべては過去の遺物であり、古ぼけた箱のなかの古ぼけた写真アルバムのようなものだと感じていたのだ。

ネットは見逃さなかった。その写真の箱を発見して開き、一枚の曲を探し出した。聖歌(アンセム)として光あふれる地上に復活させた。

空間軸も時間軸ももうないのかもしれない。そんな軸にとらわれずに、僕らは本当にいいもの、心に嘘をつかないものを楽しむべき時が来たのだ。「STAY WITH ME」のコメント欄には、<RIP. MIKI>の言葉がたくさんの花束のように手向けられている。


渋滞のなか、やっとのことで僕はタクシーを降りる。交差点の誠志堂書店は不思議なことに見つけられなかった。赤坂方面に少し歩き、右に入る。巨大なディスコがあり、その近くに目指す店があるのだ。道に入りこむと、その一角は雨の中で霞んでいた。華やかな灯りはあったが、いつもよりは暗い気がした。

その時、僕は、iPhoneのヘッドフォンをしていることに気づく。STAY WITH MEがまだ聴こえている。
真夜中のドアをたたき・・・。そうだ、そのドアがどこにあるか、ずっと探してきた、そう感じる。この巨大で美しく孤独なCITYのどこかにきっとあると信じて。
店のあったビルはもう違うビルになっていた。それでも、僕はその中に進んでいく。「人は毎日、生まれ変わるんだから」の声がふとよみがえり、心をよぎる。


(おわり)

*写真は表参道交差点近くの青山通り。バブル期よりは当然、キラキラ度は下がったが、夜はとても美しい。CityPopを聴きながら歩きましょう。







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