「外見の美しさ」と「内面の美しさ」
「いずれ私も老いる」という自覚
24歳の時、初めてミスコンに出ることになった。そして自分のプロフィール写真が公開されると同時に、連日Facebookにお友達申請が来るようになった。
「かわいいですね」
「きれいですね」
そんな褒め言葉を連日かけられた。
「ちやほやされていい気になってる」
そうやって容姿を褒められている私に対して、そんな批判をしてくる人もいた。
でも、周囲が想像しているほど私は容姿を褒められることに対して調子に乗ってはいなかった。多少の嬉しさがなかったわけではないが、容姿を褒めてくる相手のことを「どうせ相手が女なら誰でもいいのだろう」くらいに思っていた。実際そういう人はたくさんいた。
調子に乗るほど、私は若さゆえの美しさに価値をおいていなかった。
「私もいずれ老いる。老いて若さゆえの美しさを失う」
24歳の私は、強くそう意識していた。
だから自分が私は若さゆえの美しさしかない人間ではないということをアピールすることを意識してきた。ミスコンの大会が終わってから1週間以内に電子書籍で小説も出版した。毎日SNSに短い文章を投稿し、自分の思いを発信し、自分には文章力と根性があることを表現し続けた。
私の美しさは外見だけではない。
それを伝えるための努力を十分してきたという自負がある。
外見の美しさで勝負しているイメージが強い業界
ミスコンにモデル。さらに私は今現在、ミセスコンにも挑戦している。これらのコンテストや職業は、どうしても「外見の美しさで勝負している」というイメージが世間的に強くなる。そして実際そういう側面は非常に強い。
でも、そんな業界で生きている女性の中には強い不安を抱えている人も少なくない。
「このままでいいのだろうか」
私だけではない。この業界に生きている女性の多くが、自分も若さゆえの美しさをいずれ失うことを理解している。若さゆえの美しさを失った自分は、果たして経済的に安定した生活ができるのだろうか……と。
悲しいことに、この業界に住む女性は若さを重視されることが多い。若さゆえの美しさがあったときはちやほやされていても、若さゆえの美しさを失った時にはあっさり捨てられ、存在を忘れられる。
世間のそんな価値観に対して嫌悪感ももちろんある。でも、ただ嫌悪するだけでは仕方がないので、彼女たちはそんな世間と戦うために知恵を絞る。
「自分には何があるのか」
必死に考える。自分の中に一生物のスキルがないかを、必死に探す。ある人は自己啓発本を読み漁り、ある人は趣味に没頭し、それでお金を稼ぐ方法を考える。そうやって必死に、自分の中に一生物のスキルを探す。
そして自分は外見だけの人間ではないことを、世間に証明しようとする。
「外見の美しさ」で満足する人はそうそういない
外見の美しさで勝負しているイメージが強い業界に、私は長く身を置いてきた。それでも私は今まで、外見の美しさだけで満足している人を見たことがない。
「外見だけの薄っぺらい人間」
「男ウケを狙っているだけの人間」
私もそんな批判は散々されてきた。同じように言われている人もこの業界には多いのだろう。
しかしその批判そのものが相手を表面で見て判断しているにすぎないものだ。外見の美しさで勝負している人ほど、内面の充実への欲望は強い。
それが理解できない人ほど、人間を外見で判断している人とも言える。
外見も内面も美しい人でありたい。せめて内面は美しくありたい。……それがほとんどの人の願望ではないだろうか。
誰もが自身の内面の充実を望んでいる。外見の美しさで勝負しているイメージが強い人でさえそうなのだ。
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