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ステージ上の光と、ステージ下の闇

ミスコンのステージ上で確信した「自分の可能性」

2014年、私は初めてミスコンのステージに立った。ランウェイをウォーキングし、先端でスポットライトを浴びながらポーズをとる。大勢の人が私に注目している。

昨日までは会社のデスクに向かって何の変哲も無い生活をしていたのだ。その人間が「ステージ上でライトを浴びて注目される」ことを経験をすると、舞い上がってしまうのも当然と言えば当然かもしれない。

「私にはもっといろんな可能性があるのではないか」

ステージ上だけでなく、オーディションに合格し、ファイナリストになったその日から私は自分自身への期待値を確信するようになった。

ミスコンに出場した人の多くが口にする言葉。

「ミスコンは中毒性がある」

確かにそうなのだと思う。

ステージ上で自分への期待値が絶頂に達し、確信に変わる快感は、中毒性があると言っても過言ではない。

中途半端だった2年間

自分への可能性を確信した私は、結局入社した会社を2年で辞めて、作家・モデル・ライターの仕事を始める。2016年のことだった。

「私にはもっといろんなことができる」

そう思ってのことだった。

それでも、今振り返ってみると勢いよく会社を辞めたものの、2018年までなんとも中途半端な姿勢だったと思う。自分の可能性を試すために会社を辞めたのに、どこか自信が足りていなかった。

自信が足りていなかったから、私はいつもよそ見をしていた。求人サイトを見たり、アルバイトをしたり。派遣会社に登録もした。

今思うと、なんとも情けない話だと思う。

自分のタイトルを無駄にしたくない

あのまま中途半端な姿勢で、何事も成さずにそのまま結婚してそのまま専業主婦になってそのまま子供を作る……という人生もあったのだと思う。

でも、私は考えてしまう。

「あのお母さん、『昔は』ミスコンに出たりしてたんだよ」

そうやって噂をされることを。

もちろん中にはネガティブなニュアンスを込めてこう噂をする人もいるのだと思う。しかし大半の人は「ただありのままの事実」として私のミスコン出場歴を語るのだとも思う。決して恥ずかしい経歴ではなく、むしろ憧れられる経歴ですらあるので、そこまでネガティブに囁かれることもない。

それでも私のプライドはそう語られることを許せない。

「『昔は』輝いていたけど、(今は……)」

私はプライドが高い。それを自覚している。だからこのまま中途半端な状態だと、自分の中でそんな葛藤が生まれることは目に見えていた。

なんとしてでもそれは避けたかった。

光が強い分闇も深い

これは私に限らず多くのファイナリストが経験することだと思う。そもそもミスコンに出ようとする女性は、自分への期待値が周りよりも高い。

「私にも何かができるのではないか」

潜在的にそう思っているからミスコンに応募する。

そしてその思いをステージ上でライトを浴びることで一気に開花させる人も少なくない。

「私にも何かができる!」

漠然とした期待が確信が変わる。

でも、残酷なことにミスコンのステージに立つだけでは期待が確信に変わるだけだ。

具体的に何をしたらいいのか、自分が何をすべきなのかは分からない。

だからミスコンのステージ上で自分への期待を確信に変えた女性は、再び深い闇を経験することになる。

「自分に何ができるのだろうか?」

「何をしたらいいのだろうか?」

ステージを降りたあとは延々とその質問を自分に投げかける。

 闇があるから光がある

「自分に何ができるのだろうか?」

この問いは問い続けていくにはとても苦しいものがある。

ミスコンのステージで強い光を浴び、自分への期待を確信に変えた女性を待ち受けているのはこの問いによる苦しみかもしれない。

私自身もミスコン後、中途半端な時代を歩んできた。その中途半端さに苦しんできた。

ただ、不思議なもので、この問いの闇を抜けた先にも光はまたあるのだということを、今実感している。






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