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映画短評第十一回『海辺の映画館―キネマの玉手箱』/映画で遊ぶ子供

 2020年4月10日に、大林宣彦がこの世を去った。この日は、本来であれば大林の最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の公開日となるはずだった。しかし、周知のように緊急事態宣言がその3日前に発令され、都内の映画館はほとんどすべてが休館を余儀なくされた。『海辺の映画館』の公開は、その後2020年7月31日まで待たねばならなかった。
 『海辺の映画館』の混沌を言語化するのは極めて困難である。宇宙空間から始まり、宇宙船の中から一人の男性が、観客に向かって今から始まる映画について語りはじめる(男の背後には、合成で張り付けられた金魚が泳いでいる)。そして突然、中原中也の詩が朗読されたかと思うと、次の瞬間に舞台は尾道に移動している。そこにある「海辺の映画館」は閉館がすでに決まっており、今日は上映の最終日である。この日、「日本の戦争映画大特集」と銘打たれたオールナイト上映に観客が集まってくる。そして映画が始まる。スクリーンに映し出されるのは、幕末の内戦、太平洋戦争、そして原爆投下直前の広島。この戦争映画を見ている観客は、いつしか映画内に入りこみ、これらの戦争を疑似体験していくことになる。
 大林宣彦のフィルモグラフィは、劇場用映画では『HOUSE』(1977年)から始まるが、彼のキャリアの出発点に実験映画や個人映画の数々が存在したことを忘れてはならない。1964年、この年にできた新宿の紀伊国屋ホールでのこけら落としとして、「フィルム・アンデパンダン」の作品群が選ばれた。「フィルム・アンデパンダン」とは個人映画の上映集団であり、メンバーには映画研究者のドナルド・リチ―や佐藤重臣、また飯村隆彦や高林陽一、そして大林宣彦がいた。幼少期からフィルムを切り貼りして遊んでいたという大林のそれら実験映画群は、たしかに「遊び」に満ちている。コマが飛び、映っている人間の動きが離散的になる。フィルムの上に絵をかき、傷をつけ、それをそのまま観客の目の前に差し出す。このような大林の実験性は、商業映画で活躍するようになると鳴りを潜めてゆくが、晩年の『この空の花長岡花火物語』(2012年)あたりから再びその混沌を現すようになった。ここから最新作に至るまで大林の実験精神は生来の奔放さに回帰してゆく。
 『海辺の映画館』は、見ている人間が困惑するほどの支離滅裂が全編を貫く。カットごとの連関性が曖昧なため物語は破綻し、安っぽい合成画面が頻出することで映画から審美的要素が失われてゆく。それは悪ふざけのように見えるかもしれない。しかし、そのいたずらのような演出も、すべては子供の「遊び」だと解釈すれば合点がいく。「キネマの玉手箱」とはおもちゃ箱のことである。幼少期にフィルムで遊び、青年期にかけて狂ったように映画を見続ける日々を送ったという大林。彼のそうした人生の木霊を、この遺作の実験性に重ねたとしても、決して不当とは言えないはずである。
(文・中島晋作)

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