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SMAPの凄さを若い世代にも分かるように解説

 2023年現在、SMAPをリアルタイムで知らない若い世代の人達も増えていますが、1989年生まれの私にとって、SMAPは今でも特別なグループです。4月にフジテレビで放送された『まつもtoなかい』で中居正広さんと香取慎吾さんの共演が話題になりましたが、やっぱり2人の姿には華がありましたし、久し振りにワクワクしながらテレビを観ました。今回はSMAP がどれだけ凄かったのかを若い世代にも分かるように解説していきます。

◯「かっこいい人達が面白いことをする」を体現したスーパーグループ

 SMAPは中居正広さん、木村拓哉さん、稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さん、森且行さんの6人で1991年9月9日にデビュー、1996年に森さんがオートレーサーになるためにSMAPを脱退、5人になったSMAPは2016年12月31日に解散するまで、国民的グループとして日本中を楽しませてくれました。

 SMAPが国民的グループになったいちばんの要因を考えた時、私はSMAPが「かっこいい人達が面白いことをするというエンターテイメントにおける理想」を体現したからだと思います。1980年代は各テレビ局で多くの歌番組が放送され、歌番組がアイドルの活躍の場になっていました。しかし、80年代後半から歌番組が徐々に終了していき、SMAPがデビューした1991年には多くの歌番組が終わりを迎えていました。そんな状況の中でデビューしたSMAPは音楽面で相当の苦労を強いられました。ジャニーズ所属のグループの多くがデビュー作でオリコン1位を獲得していますが、SMAPが初めてオリコン1位を獲得したのは1994年にリリースした12作目のシングル『HEY HEY おおきに毎度あり』でした。SMAPは後に『夜空ノムコウ』『らいおんハート』でミリオンヒット、『世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン』はトリプルミリオンを記録、日本で販売されたシングルCDの売上最高記録を打ち立てましたが、音楽面で成功するのにかなりの時間が掛かったのです。

 そんなSMAPがデビュー以来、活動の場としていたのがバラエティ番組でした。元々は積極的な理由ではなく、音楽番組が減ってしまい、活動する場がないためバラエティ番組に出るようになったというのが正直なところだったようです。しかし、バラエティ番組で面白さ、トーク力、対応力などを身につけたことがSMAPをスーパーグループに押し上げたのだと思います。

 80年代、テレビで最も輝いていたのは俳優でも歌手でもなく、お笑い芸人でした。「芸人=面白い人」というのが当時の多くの人の認識だったと思いますが、明石家さんまさんがトレンディドラマで主演を務め、共演した大竹しのぶさんと結婚、とんねるずが紅白歌合戦出場や東京ドームでライブを開催するなどアーティストとしても大成功、芸人さんが面白くてかっこいい存在になったことで、彼らの地位や人気も一気に上がりました。90年代に入り、SMAPはかっこいいアイドルが本格的に面白いことをするという誰も挑戦しなかった道を選びました。今となっては「そりゃ人気出るやろ」と思う戦略ですが、当時のアイドルは「高嶺の花で遠く離れた憧れの存在」であることが良しとされていたため、これはリスクがある戦略でした。実際、SMAPのこの戦略はすぐに花開いたわけではありませんでした。

◯2003年に『世界に一つだけの花』で国民的グループになるまで

 SMAPがどのタイミングで国民的グループになったかを考えた時、私は2003年だと思っています。デビューしてから、国民的グループになるきっかけになった各メンバーに出来事を振り返っていきます。

①SMAPのメンバーで初の月9主演を務めた稲垣吾郎さん

 月曜9時にフジテレビで放送されるドラマ(月9)は多くの人気作品を世に送り出し、SMAPのメンバーは何度も主演を務めました。月9といえば木村拓哉さんのイメージが強い人も多いと思いますが、SMAPのメンバーで初めて月9の主演を務めたのは稲垣吾郎さんです。稲垣さんが初めて月9で主演を務めたのは1992年に放送された『二十歳の約束』です。稲垣さんはSMAPがデビューする以前の1989年にNHKの連続テレビ小説『青春家族』でも主人公の弟役という重要なポジションを演じました。おそらく、SMAPの中で最初に多くの人から認知をされたのは稲垣さんだったと思います。木村さんが初めて月9で主演を演じたのが1996年に放送された『ロングバケーション』だったことを考えると、稲垣さんの月9主演がいかに早かったかが分かります。

②『ロングバケーション』で社会現象になった木村拓哉さん

 初期のSMAPの知名度アップに貢献したのは稲垣さんですが、SMAPの人気を一気に高めたのは、やはり木村拓哉さんです。『ロングバケーション』は木村さんが初めて主演した月9ですが、木村さんはこの以前から『あすなろ白書』や『若者のすべて』などで人気を獲得しており、『ロングバケーション』は満を持して放送された作品でした。『ロングバケーション』を観るために「月曜日はOLが街から消える」と言われたり、木村さんがピアニスト役を演じたことでピアノを習う男性が増えるなど、『ロングバケーション』と木村さんは社会現象になりました。当時はSMAPよりも木村さんの人気や影響力のほうが大きく、木村さんの存在がSMAPの価値を一気に高めたことは間違いありません。

③ジャニーズ初の紅白司会を射止めた中居正広さん

 今となってはジャニーズ所属のアイドルが番組で司会を務めることは珍しくありませんが、中居正広さんが多くの番組で司会を務めるまで、番組の司会は芸人さんかアナウンサーが務めるのが一般的でした。正直、当時のジャニーズのアイドルで番組の司会ができる対応力やトーク力を持っている人はいなかったと思います。しかし、中居さんはデビュー当初から日本一の司会者になることを目標にされていたそうです。着実に司会者としてのキャリアを積み重ねた中居さんは1998年の大晦日、ついに紅白歌合戦の白組司会の座を射止めました。木村さんの存在は確かに社会現象になりました。しかし、ドラマを全く観ない層はいつの時代も必ずいます。「キムタクという人がなんか人気あるみたいやけど、よう分からんな」という人からも、中居さんが紅白歌合戦の司会を務めたことでSMAPの知名度も大きく上がりました。SMAPがアイドルという枠を超えて、バラエティの世界でも活躍できたのは、中居さんの存在があったからだと思います。

④SMAPが国民的グループになった2003年、一気に花開いた草彅剛さん

 SMAPの凄さは小さな子どもからお年寄りまで、多くの人がSMAPのメンバー全員の顔と名前を認識していたことです。各メンバーがドラマやバラエティ番組をきっかけにして人気が出ていく中、日の目を見る機会が少なかったのが草彅剛さんでした。他のメンバーがドラマで主演を務める中、草彅さんにはその出番がなかなか回ってきませんでした。そんな草彅さんも1997年に放送された『いいひと。』で初の主演を務めることができました。当時、草彅さんは22歳・・・、冷静に考えればかなり凄いことですが、これで遅咲きとして扱われるのがSMAPの凄さだと思います。その後、様々なドラマ・映画に出演、俳優としての評価も高まっていきましたが、草彅さんの俳優としてのキャリアが一気に花開いたのが2003年でした。1月〜3月にフジテレビで放送された『僕の生きる道』は視聴率こそ当初は振るわなかったものの、ドラマの内容や草彅さんの演技が評価され、徐々に視聴者を増やしていき、最終回では21.6%の高視聴率を記録しました。『僕の生きる道』の主題歌が『世界に一つだけの花』だったのですが、この曲は元々、前年にリリースされたSMAPのアルバムに収録された曲でした。『僕の生きる道』の主題歌として使用されたことで多くの人に知られ、シングル・ヴァージョンをリリース、最終的に300万枚の大ヒットに繋がりました。草彅さんは2003年に公開された映画『黄泉がえり』にも主演、『黄泉がえり』の公開と『僕の生きる道』の放送の時期が重なったこともあり、草彅さんへの評価が一気に高まりました。SMAPの中で最も遅咲きだった草彅さんの才能が開花、『世界に一つだけの花』の大ヒット、SMAPが誰もが認める国民的グループになったのはこの時だったと思います。

⑤香取慎吾さんの大河ドラマ主演によって生まれたSMAPロス

 2004年、SMAPはデビュー以来初めて、コンサートツアーを開催せず、シングルやアルバムの作品もリリースしない1年となりました。これは香取慎吾さんが2004年にNHKの大河ドラマ『新撰組』に主演をしていたからです。大河ドラマは1年に渡り放送がされるため、出演者は多くの時間を拘束されます。そのため、2004年のSMAPのグループ活動は『SMAP×SMAP』と特番の出演のみとなり、個人活動が中心となりました。世の中にはNHKの番組しか観ない、大河ドラマだけは観るといった人達も一定数いるため、香取さんの『新撰組』への出演はSMAPの価値をさらに高めることに繋がったと思います。

 そして、2004年は世の中のSMAPに対する認識が大きく変わった1年だったと思います。グループに所属するアイドルやメンバーはグループの中では輝けるが、ソロになると物足りなさを感じてしまうことも正直あります。しかし、SMAPのメンバーはソロでもドラマの主演、番組の司会などを務めることができ、全員に華があります。2004年にSMAPとしての活動が減り、ソロでの活動が中心になったことで、SMAPはソロで活動をするのが日常で、グループで活動する時に特別感を感じる人が増えたと思います。私もこの頃から5人揃った時(特に年末の特番)に「SMAPが5人揃ってる!!」と感じるようになりました。通常、グループの中から人気メンバーが生まれると、そのメンバーが脱退をしたり、グループ自体が解散するケースが多いのですが、特定のメンバーに人気が出ても脱退はせず(森さんのSMAP脱退は少年時代からの夢であるオートレーサーになるため)、グループでの活動を続ける中でそれぞれのメンバーが人気と実力を高めたことがSMAPをスーパーグループにしたのだと思います。

◯これからのSMAP

 SMAPが解散した当初はジャニーズ事務所の影響力がまだまだ大きく、それがSMAPを解散に追い込んだ原因の1つになったと私は思っていますが、解散後の各メンバーの活躍を見ると、やっぱり、SMAPのメンバーは凄いことが分かります。

 これからのSMAPについてですが、どういうかたちになるかは分かりませんが、私はもう1度SMAPのメンバーが揃う日が来ると思います。解散当初はジャニーズ事務所から最初に脱退した稲垣さん、草彅さん、香取さんの3人をテレビ番組に出演させないよう、各テレビ局にジャニーズ事務所から圧力があり、公正取引委員会が独占禁止法につながる恐れがあるとして、ジャニーズ事務所を注意したという報道がありましたが、現在はジャニーズ事務所の影響力が大きく下がっているため、ジャニーズ事務所からの圧力や妨害などの影響は少なくなっています。また、解散までの経緯は各メンバーにとっても不本意だったと思います。各メンバーの心境が変化する可能性もあると思いますし、継続的な再結成ではないかもしれませんが、コンサートツアーの開催、特番への出演などの活動をする可能性はあると思います。

◯最後に

 SMAPが好きな人にはそれぞれのSMAPのエピソードがあるはずです。SMAPのコンサートを観て、SMAPの番組を観て、各メンバーのドラマやバラエティ番組を観て、たくさんの思い出が多くの人の中に残っていると思います。

 SMAPが活動していた期間、その途中にはメンバーの逮捕などのトラブルもありました。しかし、問題が起こってもそこから逃げず、多くの人に応援してもらえるように向き合った強さや人間性がSMAPの魅力だと思いますし、SMAPの各メンバーの人柄こそ、SMAPが多くの人に愛される要因なのだと思います。

 SMAPのメンバーと全てのSMAPファンに幸あれ!!


◯出典
・『SMAP⭐︎がんばりますっ!!』 テレビ朝日 2009年1月31日放送

・ドラマ視聴率速報ドラマン 2023年7月13日
 https://doraman.net/

・日本経済新聞 配信日 2019年7月18日 確認日 2023年7月13日
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47464800Y9A710C1000000/


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