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思考の相対性理論について考える

「相対性理論とは、仮に絶対的最大の速さを光の速さする。そのため観測できる範囲の事象は、絶対的光の速度以下であり、重力によって光子の航路が歪められるように見えるため、絶対的な空間の有り様を人間が観察することはできない」
以上は、わたしの解釈する相対性理論です。相対性理論の一般的な解釈は、Wikipediaの相対性理論を参照してください。

前置き

なぜ相対性理論について語ろうとするかというと、世の中は相対的な物事を絶対的なモノのように語って、諍いが絶えないでいます。Twitterなどは、特にそうです。物事に絶対的なものは存在しません。雄弁な嘘ツキは、そこに上手いこと錯覚をさせて、自分の申す事柄を絶対的なモノかのように、視聴者に思わせます。そのような悪質な一見「雄弁な天才」をわたしは訝しく眺めています。

絶対的なものは物理空間にしかない

思想の空間など存在しない

「思想の空間」は存在しません。思考は単なる思考です。広がりのある思考はありますが、物理空間に存在する物ではありません。そこを勘違いしない事が、わたしの思考の前提です。
よくありがちな勘違いとしては「サイバー空間」という表現でしょう。あたかもインターネット上に空間が存在するかのように、錯覚させている。「メタバース」がその代表的な考え方です。そこで通貨をやり取りし(仮想通貨)、物理空間と同様に扱おうとしている人々がいます。

「思考のあや」を利用する

多くの新しい思想、新しいシステムは、好奇心をそそるものです。しかしそこで、浮足立たない事が、大事ではないかと考えています。仮想通貨を手に入れるも良し、メタバース空間の土地を購入するも良し。そこで、それがどう自分の役に立つのか、立たないのか、それとも世の中の役に立つのか立たないのか、どう活用するのが良い方法なのか、思考することが大切だとわたしは考えます。
思考には「あや」があります。言葉のあやというものです。その物事の間(あわい)を楽しむのは、よろしい事ではないでしょうか。

思想に絶対的なものなど存在しない

原理・原則を破ったら、理論は破綻する

繰り返しますが、思想には絶対的なものはありません。ですから人は思考の上で惑い、彷徨います。そこに絶対的に見えるようなことを言ってくれる人がいると、人は縋りつきたくなります。
ただし、思考の遊びにはルールがあります。原理・原則を破らないことです。原理・原則に反すると、理論は破綻します。例えば、男性と女性について論じるケースを考えてみましょう。男性には男性原理、女性には女性原理があります。男性の定義、女性の定義と言い換えても良いでしょう。ここを見誤ることで、男性と女性について論じていたはずのものが、感情的な言葉の争いにつながります。

理論はあくまで理論、証明されなければ意味がない

とにかく自分の理論を構築したがる人々がいます。それはその人にとって、その方が都合が良いからです。そこを見誤ってはいけません。世の中にはインフルエンサーと呼ばれる、扇動者がいます。扇動者は人や物事を煽って、焚き付け、物事を大きな問題としようとします。それが正しいやり方であれば、問題ないでしょう。しかし多くは人々の感情を揺さぶり、混乱させる者が多いことも確かです。
扇動者ではなく、先導者になりましょう。物事を率先して行なっていく人です。世の中には先導者が必要です。先導者は後ろについて真似事を始めていく人が多くいるものですから、行いが害悪でない人でなければなりません。あなた自身の「心の示す正しさ」に従ってください。正義がいつも正しいとは限りません。

あとがき

世の中には、様々な形で人を惑わそうとする輩が絶えません。そこで、この文章を執筆しようと考えました。正しさは、千人居れば千人事の、心の正しさがあります。それを型に嵌めて考えようとしないことです。何か不安な事があれば、まずは自分の心を鎮めるものが何か、考えてみてください。不安を解決できるのは、最終的には自分自身であることを心に留めておいてください。

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