見出し画像

自分を生きる

仕事が好きかどうか、という問いに対する答えには、何が最適なのだろうか。

好きと言えば好きだし、嫌いと言えば嫌いだ。

そもそも、仕事は仕事で、自分が生活していくためにやらないといけないことで、でも、新卒の就活生はみんなキラキラした顔で、会社で活躍する自分像や、自分の魅力、自分の豊富な経験を語る。

なんの意味があるのか、正直わからない。

その人が何を経験したとか、どれくらいの学歴があるとか、どんな振る舞いをしているかとか。

聞いたところで、一緒に働いてもいないのに、たった数回の面接やグループワークで人生が左右されるなんて、すごいことだ。

今の私なら、こう言ってしまいそうだ。

「なんとなく、雰囲気が良さそうだったのと、それなりに給料も良かったので、この会社を受けてみました。でも、入ったら入ったで、頑張ろうと思います。」

人間なんてそんなもんじゃないのか。

スマートフォン、SNS、アプリ、全てが手放せなくなった今の時代、全てが虚構のように感じる。

自分で覚えておかなくても、スマホにメモしておけば見返せる。

会ったことのない人間と、チャットやWeb会議だけで仕事ができる。

本当は家でだらけているだけなのに、1週間前に、ふと撮った風景の写真をSNSに上げて、朝活アピールをする。

本当の、自分とは、何なのか。

危険だ。

トレンドが無限にあるこの時代で、全てに乗っかり、身を任せるだけでは、何が、とは言えないが、めちゃくちゃ危険な気がする。

ふとしたときに、鏡を見ると、自分がのっぺらぼうになっていた、なんてことが、本当に起こりそうな気がする。

私は、本質の部分で、生きていきたい。

正直、SNSにはもううんざりだ。何がいいのかわからない。

自分を信じたい。

もちろん、私だって、一発逆転を狙いたいのは山々だ。羨ましい。

でも、自分は自分を信じて、自分を積み重ねていく。

自分はSNS上にあるわけではない。

確かに、この地球上に、唯一無二の人間として存在している。

土台が脆くて、外見がピカピカでおしゃれな建物には、建築過程を知らない者だけがはしゃいで寄ってくる。

そして、3年、5年、10年経って、その建物が壊れたら、当時寄ってきた人間たちは、絶対に手のひらをひっくり返して批判を浴びせる。

結局みんな、表面しかみていない。

その表面だって大事だと言われたら、それまでだし、事実だ。

でも、内側から放たれる表面の美しさと、内側が空っぽの表面の美しさは、分かる人には分かる。

それが分かるのは、内側が作り上げられる過程を知っている人か、同じように自分も必死で、泥水すすって土台を、内側を作り上げてきた人だ。

そして、類は友を呼ぶ。

土台が頑丈な人たちが集まって、というか、自然と惹き寄せられて、最強の組織が生まれる。

でも、そうなるには、時間がかかる。

でもそれでいい。

脆い建物には価値はつかない、むしろマイナスの価値がつくが、絶対に壊れない土台があり、かつ美しい建物には何億もの価値がつく。

しかも、その建物を作り上げる時間に、自分は内側からどんどん美しくなる。

中身は空っぽなやつとはどんどん差をつけられる。

どうか、自分を信じて、自分の中身を見て、自分を生きよう。

そうして生きてきた人間は、同じような人間のことが、必ず分かるようになり、必ず認めてくれる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?