エモいことがしたいのにできない理由

「エモい」という言葉をよく聞くことがあるが、


「エモい」の定義とはなんなのだろう。



懐かしい、ノスタルジック、もの悲しい、レトロ、感傷的

など、調べてみると色々あった。



それらを踏まえて私個人的にエモいと感じる瞬間を紐解いていくと、


エモさの条件は「その時の誰かの最上が垣間見れるかどうか」だと思う。




泥臭いし痛いし不器用だったかもしれないけれど、確かにその時のその人のベストや感情の昂りがそこにある。その事実に共鳴してしまうのではないか。



だから、ただ懐かしいだけでは「エモい」とはならない。



私は昔から自分より20個ぐらい上の人の過去話や苦労話を聞くのが好きだ。今はもう洗練された目の前の人が過ぎ去った昔を懐かしそうに語る目。



けれど、それは今はもう家庭なり会社なり収まるところに収まって、その物語は完結してしまっているからこそエモさを感じるし、安心して聞いていられるのだろう。



自分自身の過去を振り返ってもそうで、今はもう連絡も取らなくなった友人や昔の恋人との思い出、それだけが私にエモさを引き起こさせる。



今と地続きになっている過去はただただ現実で、美しさとは程遠い。




昔から懐古主義なんて言葉もあるように、「もう過去だから」「戻れないから」こその美しさってあると思う。




全て元を辿れば「現実」でしかないのだけれどな。















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?