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三途の川を見た

「あなたの原風景はどこか」

と問われたら、もしかしたらここを挙げるもしれない」という場所が、齢40近くになって浮かび上がってきた。

私の母は昔から畑仕事が好きで、私が小さい頃は3か所も畑を借りて、野菜を作っていた。

ただ「畑」と呼ぶとどれのことだかわからないので、私たちはそれぞれの畑を、まわりの風景からとった名前で呼んでいた。

電車の畑
公会堂の畑
……
…………

もうひとつは忘れた。

私が原風景を問われて思い当たるのは、このうちひとつ「電車の畑」である。

文字どおり、だだっ広いところにレンタルの畑がたくさん並んでいて、遠くに電車が走るのが見える。

よく母が畑に行くのについて行き、車の中でゴマのまぶされたおにぎりを食べた思い出や、シロツメクサをつんだ思い出、使わなくなったベビーカーを母が畑の物置がわりにしていたことがよみがえる。

母がその畑を借りていたのは、私が小学校低学年頃までだろうか。解約して以降、そこを訪れることはなくなった。

12年前、私は生まれ育った家から今の家に引っ越してきた。

ちょうどその年(既に27歳になっていた)新卒で就職して、通勤のために乗ることになったのが、あの「電車の畑」から見ていた路線だった。

もともと不便なところに住んでいたのにもっと不便なところに引っ越して、都心に出るには以前の家よりも30分長くかかるようになった。若かった私のテンションは下がるばかりだった。

その路線自体も「田舎の電車」という感じで好きにはなれなかった。

初めて就職した会社で心身ともにボロボロになり、寝不足のまま通勤していたある朝、その電車の窓からあの電車の畑の風景が見えた。

畑に通った当時は気づかなかったけれど、そこから少し外れたあたりに「春の小川」に歌われるような小川が流れていて、たくさんのたんぽぽが咲いていた。

その日はよく晴れており、朝の光が水面に反射し、空気がまばゆくかすんで見えた。夢の中のような、まぼろしを見ているかのような光景だった。

「ああ、三途の川。私、もう死んだのかしら」

そんな思いがよぎり、自分が心身ともに疲れていることを思い知った。

その頃の私は、会社での苦悩をあまり人に相談できていなかったような気がする。

三途の川を見ながら「私の味方はどこにもいない」と思った。

あれから12年が経ち、あの頃とは全く違う生活をしている。
今の私には、あの頃見えなかった景色が見える。あの頃抱えていた問題のいくつかは解消している。

それでも私は今も電車に乗るたび、あの三途の川を見る。そしてあの諦念の日々を思い返す。

自らの内の深淵を覗き込むように。

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