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こうして私は「役立たず」になった

【ブログお引越し中】当記事は、別ブログに掲載していたものに加筆修正して移動したものです。(旧ブログでの投稿日:2020.06.09)

ある会社に勤め始めた時から、私の「会社仕事」は、ほぼルーティンワークとなった。

その年の春、転職を前に大病を患い、十日ほど入院して体力が落ちた。

その転職で私は希望どおりの異職種転職に成功したが、転職先は結構なブラック。
初めて「みなし残業代」で働き、ここまでやる気がでないものなのか……と驚いた。

主な仕事内容は希望どおりだが、小さい会社で「何でも屋さん」色が強く「なぜ嘔吐恐怖症の私がゲ◯掃除まで……」というような予想外のおまけが、色々くっついてきた。

加えて職種柄、外を行ったり来たりして夏の暑さにやられ、私の中の何かがすっかりすり減っていった。やる気がない。帰りたい。「いかにしてサボるか」ばかり考えるようになった。

私は早々に再転職を決意。
「体力も落ちた今の私には、内容より働きやすさが重要な時代になったのだ」と悟り(結果的に、これは判断ミスであった)、迷うことなく以前の職種、かつ以前よりライトな内容の仕事を選択した。久々の派遣で気も楽になった。

長年クリエイティブな仕事を続けてきたが、新しい職場での仕事は75%ルーティン、25%クリエイティブと言ったところ。

楽であることを優先したが、その「ルーティン」で使用しているツールがポンコツで、楽になるためのツールが逆に使用者を苦しめていた。その解決のためにほとんどの時間を投じる形で、結局楽にはならなかった(もちろん得るものもあり、総合的に得難い経験ではあった)。

「どうせ楽じゃないなら、大変でもルーティンじゃない方がスキルも上がったし、後に活きる経験にもなったのに」

その会社で働くうち、またやる気がなくなった。
元々働くのが好きな自分が、ここまでやる気がないというのは、相当に不健康な状態だと感じ始める。

そうこうするうち、社会情勢が変化した。
医療関係の会社である。
疫病をきっかけに全社が忙しくなった結果、元々悪かったチーム内の環境が悪化する。

会社自体は、社員を大切にする社風。
テレワークでがんばってくれている皆様へと、Web会議用ヘッドセット、除菌スプレーや石鹸、ハンドクリームを送ってくれるような会社だったが、色々やりづらかった上司が「ただの意地悪おばさん」でしかなくなり、人間関係が最悪の状態になった。

仕事中に涙が止まらない。朝に、夜中に、起きた途端に動悸が止まらない。
ミスが増える。そのミスへのチーム内の指摘の仕方がいやらしく、ミスらないようにと意識しすぎて、余計にミスをする悪循環。何もやりたくない。チームの人と話したくない。大量のメールを開くことさえ怖い。

負のループに入り、抜け出すには困難を極めた。
ミスは増えるはやる気はないわ、レスは遅いわ。私はあっという間に、そして完全に「役立たず」になっていった。

心身を蝕み始めたことを悟り、私は会社を離れる決意をする。

第三者に話した時「そこの会社、体制はホワイトだけど、人間はブラックなのね」と言われ、ハッとした。

上司に問題を感じても「ここは社員思いのホワイト企業。待遇は最高だからなあ……おかげで身体も楽になったし」などと思い込み、幾度となく踏みとどまっていた。

そうか、ブラックとは、体制や働くことへの考え方だけで決まることではなかったのだ。
そんなことに気づくのに、9か月を要した。

全体の体制はよくても、上司の上司に、何人の部下が、上司のどんなひどい仕打ちを訴えても……結局何も変わらなかった。

そうして皆、表向きは当たり障りのない理由をつけ、辞めていった。私が辞める時、私の前に入った人は、ただの1人も残っていなかったのだ。

私は思った。「これが会社の総意である」。
小さな人間である私は、そう判断して動かねば、路頭に迷いかねない。自分の身を守れるのは自分しかいない。

ちなみに個人的には、社内向けの「みんな大変な中でありがとう!」ムービーを制作したり、社員にハンドクリームを送ったりする金があるなら、その金を防護エプロンとか何か、役立つものに使えるように外に寄付してくれ……と思っていた。

契約終了を決意したその日、久々に得意分野の、クリエイティブ寄りの仕事がまとまって入ってきた。

数週間それらの仕事に没頭するうち、やはり自分の頭で考え、発想して作り出すことが向いており、やりがいを感じることを再確認した。

アドレナリンがドバドバ流出し、楽しくて仕方がない。ハキハキ自信を持って発言、提案できる。水を得た魚のようだ。

元々仕事にはやりがいが必要だと思って生きてきたのに、楽をすることを優先し「仕事はお金を稼ぐ手段。面白さがなくても仕方ない」と諦めてルーティンを選んだら、結局精神まで崩壊しかけた。

30代も終わりに差しかかり、働くことについて改めて考えるきっかけとなった。

さて「ある会社」とは、前職のことである。私はその会社を先月末で退職した。

この社会情勢の影響で次の職場探しに手こずる間に、以前からやりたかったライティングを学びはじめ、今月頭から少しずつ書かせていただけるようになった。

ライターの仕事が磐石になるまで会社勤めは続けると思うが、たとえ今後会社勤めがサブになっても、仕事を選ぶ基準も働くスタンスも、以前のようなものではなくなるだろう。

なかなか次の派遣先が決まらないのは倍率が上がっているからというのが最も大きいが、仕事を探すスタンスが変わり、以前より妥協できなくなったからということでもある。

向き不向きはあるが、人間は自分の頭で考え、感性で向き合うことで色々なところが活性化されるのかもしれない。

かつ、そのような方法でものごとに向き合うことで、人は代えのきかない存在になっていくような気がする。

誤解のないよう書くと「ルーティンワークが悪い」言っているわけではない。

ルーティンワークが向く人もいるし「ルーティンワークがクリエイティブではない」ということでもない。

全ての仕事にはクリエイティブな側面があり、逆に言えば、自分次第でいかようにもクリエイティブにしていける。

どんなに単純な作業でも、いかに効率よくやるか、いかに喜んでもらうか、相手も気持ちよくやりとりするか。その工夫が、クリエイティブなのだ。

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