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母の推し活
「なんて、やさしい顔をした人なんやろうねえ」
ある日、母がテレビの前で、しみじみとつぶやいていた。
誰のことだろうとテレビに目をやると、
画面に映っていたのは、福山雅治だった
(日頃は「フクヤマ」とカタカナで呼び捨てに。
ある種の照れ隠しだと自己分析中)。
ちょうど彼が、50歳を迎えようとしていたぐらいの
時期だったと記憶している。
「年齢と共に、穏やかな表情になっていく人だね」
そう母に声をかけ、私のイケメン好きは
やっぱり遺伝なのだろうかと思いながら、
母の隣に座って、しばしフクヤマを二人で“鑑賞”した。
「新しい映画も上映されるよ」と伝える私に、
最後に映画館で映画を観たのはいつだったか思い出せない、と笑う母。
連れて行ってあげられなかったのが
今も小さな胸の痛みとして残っている。
母とフクヤマと言えば、思い出の一つが、こちら。
![](https://assets.st-note.com/img/1674265925809-hTiXUpMOqz.jpg?width=800)
フクヤマが、大河ドラマ「龍馬伝」に出演していた当時の雑誌だ。
ある日、仕事を終えて帰宅すると
「今日も遅くまでお疲れ様。はい、プレゼント♪」
といって差し出してくれたものだ。
買い物に出かけたスーパーの本売場で、たまたま目に入ったので
少しでも仕事の応援と癒しになれば……と、
私のために買って来てくれたと言う。
このころは、日曜の夜、大河ドラマ「龍馬伝」を家族みんなで観るのが、
我が家のルールのようになっていたっけ。
またある時は「はい、臨時収入」と封筒を差し出し
「この間ニュースになってた、福山さんの新しいCDを買ったら?」と、
お小遣いをくれたこともあった。
事務所の運転資金を回すだけで、精いっぱいだった当時、
自分のために遣えるお金がなかったことも
母はすべてお見通しだったのだ。
数え上げればきりがないほど
母とフクヤマにまつわる思い出はたくさんある。
![](https://assets.st-note.com/img/1674265925804-aSSxQVormh.jpg?width=800)
「福山さん」「福山さん」と、まるで憧れの職場の上司を
呼ぶように、彼の名を口にしていた母だったが
次第に、母の口から「福山さん」が聴かれる機会は減り、
二人でテレビを観ては「かっこいい~♪」と
笑い合うこともなくなっていった。
認知症は、好きな音楽も、ドラマも、本も、家族の顔も
80年の思い出も、あらゆるものを母から奪って行ってしまった。
昨秋、母の葬儀を終えた翌日、ようやく一息ついた時
ふと見た時計の針は、彼のラジオ番組の放送時間を指していた。
久しぶりに、リアルタイムで番組を聴こうとスイッチを入れると
オープニングに流れてきたのは「道標(みちしるべ)」という歌だった。
この曲は、フクヤマが亡き祖母を想ってつくった楽曲で
紡がれてゆく「命」をテーマにした名曲だ。
➡歌詞はこちらからどうぞ
あまりにもタイムリーな一曲に驚くやら、うれしいやら。
母を想いながら、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
さらに、そんな「奇跡」はもう一度、
(そう、私にとって、これは奇跡だった!)
年末の紅白歌合戦でも起こった。
母の最期を看取ってやれなかっただけでなく、
施設からの夜中の電話に、私が気づけなかったことで
家族からも看取りの時を奪ってしまった申し訳なさに、
落ち込む気持ちを抱えたまま、毎日を過ごしていた私だった。
そんな私に、12月31日のお昼、友だちから偶然にメッセージが届いた。
「母親はいつだって、子どもの幸せしか願ってないよ」
自分を許し、毎日を笑顔で幸せに過ごすことは
自分のためだけじゃなく、お母さんのためでもあるのだから――。
ほんの少し、心が前を向けそうになったその夜、
紅白歌合戦の大トリで、フクヤマが歌ったのは「桜坂」。
歌い出しの歌詞を、知っていますか?
「君よずっと幸せに」
![](https://assets.st-note.com/img/1674265925743-ovGbkQlPnf.jpg?width=800)
今まで何度となく、聴き続けてきた歌のはずだった。
歌詞だって、何も見なくても歌えるほど、すべてそらんじている。
それなのに、この夜は、やっぱり涙があふれて止まらなかった。
それはまるで、母が「福山さん」にお願いして、
私に届けてくれたメッセージのように思えたから。
もともと、「桜坂」は、別れた恋人に思いをはせる歌。
でも、昨年末の紅白で歌うにあたり、彼はちょっと違う
メッセージを発していた。
「近くにいる人は近すぎて、幸せを願うような想像力を
働かせることができなかったりする。
人は、近いものを大切にすることが上手じゃない。
そういうことを大切にしたいという気持ちに対して、
素直になりたいという願いを込めて歌いたかった。」
(ラジオより一部抜粋)
身近な人の幸せを願う。
当たり前に過ごせる毎日に感謝する。
2022年の年末の「桜坂」は、そうしたメッセージを
みんなに届ける歌だった。
そして気が付いた。
……フクヤマじゃなかったんだ。
母が推し活をしていたのは「私」だったのだ。
ありがとう、お母さん。
大好きなフクヤマの「桜坂」は今、
あなたからの応援歌になっています。 (終)
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