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強さもやさしさも、言葉で手に入れた

1歳半の息子とふたりで生きてゆこうと決めた時、私には働く母として自分に課したルールがあった。

それは息子に「ごめんね」ではなく、「ありがとう」と言葉をかけることだった。


フリーライターという職業は、自由なようで自由じゃない。

定時というものが存在しない仕事なので、早朝に出ていく日もあれば、帰宅が夜中になることもある。

当然、定休日などあるはずもなく、仕事が忙しくなるにつれ、彼と一緒に過ごす時間はどんどん削られていった。

おむつを外すトレーニングが成功したことも、お箸を上手に使えるようになったことも、私が知るのは保育園の保育士さんや、手伝ってくれる母からの報告。

できることが一つずつ増えてゆくその時を、一緒になって喜んでやることもできなかった。

仕事を優先しなくてはならないことで、彼にガマンをさせる時、寂しい思いをさせる時、罪悪感でいっぱいになった心を抱えながら過ごす日々は「待たせてごめんね」「一緒にいられなくてごめんね」「遅くなってごめんね」と、どうかするとつい謝罪の言葉が出そうになる。

それをぐっと飲みこんで、私が広げた両手に飛び込んでくる小さな息子を抱きしめながら「待っていてくれて、ありがとう」「いい子でいてくれて、ありがとう」「お願いを聞いてくれて、ありがとう」と伝え続けた。

なぜそんなことを決めたのか、振り返っても理由は思い出せない。

ただ、今思えば、何があっても生き切ってやると決心をすることができたのは、息子がいてくれたから。

私を強くしてくれた存在そのものに、感謝を伝えたかったのかもしれない。



数年後、そんなマイルールの意味に気づけた出来事があった。

あれは彼が小学3年生の頃だったろうか。学校から帰宅した彼のランドセルに、領収済みのスタンプが押されたPTA会費の徴収袋を見つけた。会費を持たせることを、すっかり忘れていたのだ。

「お金を入れるの忘れてた!」と焦って声をかけた私に、彼は落ち着いた声で返事をした。

「大丈夫。お小遣いから入れておいたから」

何ということだ……。9歳の子どもに立て替えてもらうなんて。

「うわー、ごめんね!! お小遣い返すから」

思わず口からこぼれ出た謝罪の言葉。その時、ふと気が付いた。

「ごめんね」は、後悔や反省がこもった、後ろを振り返る言葉。

「ありがとう」は、未来に顔を向け、明日へ向かってゆく言葉だったのだと。



それから6年。彼が高校生になる春休みのある日のこと。

「お母さん、メールってどうやって使うの?」

初めて自分の携帯電話を持つことになった息子に尋ねられ、使い方をレクチャーした後、「練習しよう。何でもいいからお母さんのスマホに送ってごらん? 『お腹すいた』でも『眠たい』でも『お小遣いちょうだい』でもいいよ」と言ってみた。

しばらく画面を眺めて考えていた息子。「送れた!」という言葉と共に、私の携帯電話に着信音が響いた。

そこには、彼と共に必死になって生きてきた私への、ごほうびが届いていた。

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口下手で、気持ちをうまく表現できない息子だけれど、いつも温かくやさしい人が自然と周りに集まってくれる。

それはきっと、幼い頃から受取り続け、今も口ぐせのように彼が発するこの言葉が、ひとをつなぐやさしさと、どんなときも前へ歩ませてくれる強さを持っているからなのだ。

スマホの画面をのぞいた私の目に、飛び込んできた息子からのメール。

「いつも、ありがとう」  (終)


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