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ミルク珈琲に母を想う

誕生日に、有田焼の珈琲フィルターをいただいた。

通常のペーパーフィルター同様、挽いた粉を直接入れる。

カップにセットして、いつものようにお湯を注ぎ
珈琲を淹れればいいのだが、これが本当においしい。

私の中で「最高級」だと思っている
ご贔屓の珈琲豆はもちろんのこと、

ストックを切らし、仕方なく近所のスーパーで選んだ豆も、
なんなら、ドリップパックから取り出した粉で淹れてみても、
なんともまろやかな飲み口になり、とってもおいしくなる。

私の味覚は、かなり「おおざっぱ」で
何を食べても、何を飲んでも「おいしい!」と思える
ある意味、しあわせな体質なのだが

それでもちゃんと、味の違いがわかるのだから
これは本物に違いない。

そんな珈琲との付き合いは結構長く、とても深い。

珈琲を口にした最初の記憶は、おそらく5才くらい。
インスタントコーヒーに、砂糖と牛乳をたっぷり入れたミルク珈琲だ。

バターを塗ったトーストをそっと珈琲に浸し、おやつを楽しむように、
朝ごはんとして食べていたことを、ほんのりと憶えている。

結婚するまで、朝食はずっとパン党だったこともあり、
朝は必ず、珈琲からはじまっていた。

ミルクと砂糖が入った白い珈琲が、いつしかブラック珈琲に
変わったけれど、試験勉強のお供も、受験勉強の眠気覚ましも、珈琲。

社会人になると、同僚が煙草で気持ちのリセットをしていたように、
シーンの切り替えや発想の転換が必要になるたび
新しい珈琲を淹れ直すのがルーティンになった。

そんな私の珈琲の歴史は、実はもっと昔にさかのぼる。

母の父、つまり私の祖父が珈琲好きな人だった。

祖父母の家に遊びに行くと、きまって大きなマグカップで
たっぷりのミルク珈琲を楽しんでいた姿があった。

その祖父も、珈琲をたしなむようになったのは
母が嫁いでからだったそうだ。

「私がお嫁に行って、久しぶりに里帰りをしたある日、
お父ちゃんがコーヒーを飲んでいたのよ。
時代は変わったなあと、しみじみ思ったものだわ。」

いつだったか、母がそう話していたのを憶えている。

戦争から無事に帰還したものの、元の仕事に戻れなくなり
大工として社会復帰したという祖父。

働いても働いても、暮らしはなかなか豊かにならず
慣れない仕事も手伝って、かなり苦労をしたそうだ。

中学生の頃の母のお弁当は、白いご飯にめざしが一匹。
恥ずかしくて隠しながら食べていたと、笑っていた。

年齢を重ねてからの慣れない仕事に、風当たりは相当きつかったらしい。

経験の浅さを利用され、賃金を払ってもらえなかったこと。
年端のいかない若い棟梁に、バカにされ続けたこと。
良かれと思って加えたあしらいが、余計なお世話だと
施主の怒りを買ったこと。

気難しくて一本気。どんなことにも一生懸命なのに、
決して器用とは言えない生き方で、自分の世界を歩いている人だった。

そんな武骨な人だったからこそ、ミルク珈琲の取り合わせが
あまりに新鮮で、衝撃的な風景だったのだ。

「あのお父ちゃんが、お金持ちの象徴みたいなミルク珈琲を
飲んでいたのは驚きしかなかった」と、しみじみつぶやいていた母。

珈琲好きの我が家のルーツは、きっとここにあったのだ。

認知症も手伝って、味覚が怪しくなってしまった母も
牛乳と砂糖がたっぷり入ったミルク珈琲だけは
いつまでも大好きなままだった。

自宅で介護をしていた頃は、毎朝、毎晩、
「珈琲が飲みたい!」と催促されていたものだ。

お気に入りのマグカップに入れるのは、ティースプーン2杯の
インスタントコーヒーと、スティックシュガーを2本。

沸かしたてのお湯と温めたミルクを注ぎ、少し冷ましてから
目の前へ。

珈琲に添えたバタートーストをそっと珈琲に浸すと、
ゆっくりと口へ運び、「あぁ、おいしい」とつぶやくのが日課だった。

施設への入所が決まったときも、いちばんに用意した荷物は
いつものインスタントコーヒーとスティックシュガーの束、
ミルクパウダーだった。

その母に珈琲を淹れなくなってから、気づいたことがある。

子どもに還っている母にとって、甘いミルク珈琲は
大好きだった「お父ちゃん」なんだって。

お母さん、今日も珈琲は飲めましたか?

「お父ちゃん」と一緒に飲むのはまだもう少し、
先の楽しみにとっておいてよね。

今日は私も久しぶりに、ミルクをたっぷり入れた珈琲を
飲んでみようと思っている。  (終)


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